20111207-_MG_6367.jpg

この間知った言葉にMatutinumというのがあり、調べるとその意味は「朝課」という。

私はよく調べずに、それを「毎朝する日課のような行い」を意味するのだと早合点してしまっていた。本来は、宗教的な朝の行い(祈りやその他の、それこそ日課のように行う儀式的なもののようだけれど、未だに正しい意味をしらないでいる)であるそうだ。

私は、この朝課という言葉を見て、思い浮かんだのはくねくねの朝の一連の行動だった。

今日の話にはたぶんあまり猫の話は出てこない。猫のブログなのだから猫についての日々を書くべきなんじゃないかとぼんやりと意識はしているのだが、猫を飼っている人が猫のブログを書くとき、自分の飼っている可愛い猫を紹介したいという動機があるはずで、そういう意味では、その流れで私が書くものは、一緒に住んでいる人間の話に終始することになってもおかしくないとは思う。も、そんなことに興味を持ってくれる人もそうそういないだろう。

でも、たまにになるのかわからないが、私が興味をひかれることについては少しくらい書いておきたい。


くねくねの前に私たち(私と息子)の朝について触れておきたい。私たちの朝は季節にかかわらずだいたい午前五時頃から始まる。同居するヒト二人が寝ている場合の話で、どちらかが起きているとなんだか深くは眠れなくて、もう少し起きて行動する時間は早くなる。起きてすることは、もちろん朝ごはんの催促だ。私たち猫にはヒトのように将来の不安だとか誰かに好かれているか嫌われているかという類の心配事はないが、空腹には滅法弱い。昨日食べられたから、今日も食べられるという期待はなかなかできない性分である。

そんなわけで五時過ぎには、くねくねを起こそうとする。くねくねは五時半に目覚ましをセットしている。そのくせ、起きるのは六時過ぎなので、私たちは期待だけ高められてけっこう待たされることになる。ナポレオンのあれのように、私たちの辞書には我慢という文字はなく、従って、朝ごはんを催促させてもらう。くねくねに声を書けたり、周りをうろちょろしたり、首の後ろ側をほったりして、起こそうと試みる。爪を鼻の穴に突っ込むという技もあるが、あれをするとくねくねはかなり怒るので、最近はしない。

一方、おでこは起こさないのか、というと起こさない。おでこは、意地でも布団から出てこないからだ。私たちも一緒に住み始めた頃、それこそカモのようおでこをターゲットに朝ごはん催促の突破口だと思っていた。がしかし、おでこの睡眠に対しての姿勢には、信仰に近い堅固さがあり、私たちは二年経った頃、とうとう諦めることにした。

ここからがくねくねの(勘違い)朝課の話になる。

くねくねは、毎日朝五時半に起きようとする。が起きられず、六時過ぎ頃起きる。その間は、布団のなかでもぞもぞとしている。彼の頭の周りでうろうろとする私たちの足を捕まえたりしながら、しばらくそうやってもがく。それから意を決して起き、すぐにごはんを用意してくれればいいものの、今にある窓のスクリーンを全て開ける。そして外の天気を確認してから、私たちの水をまず変える。私たち的にはそれは後でいいから、何よりさきにごはんを供して欲しいのだが、その思いは伝わらない。

水を変えてから、私たちの皿をキッチンへと持って行き、朝ごはんの用意をする。朝は細かい動きができないらしく、朝ごはんはほぼカリカリ系だ。私の歯槽膿漏と息子の便秘を慮って、水でふやかしてから私たちの食卓に置かれる。


それから、くねくねはくねくねデスクにある花の水を替える。枯れているときは、ありがとうだとかごめんだとかぶつぶつ言いながら、外にあるゴミ箱に捨てる。


20111207-_MG_6370.jpg


それが終わると着替えて、外に出ていく。しばらくすると汗だくになって帰ってくる。そして風呂場に入って、またしばらく出てこない。本を持って入っているから、本を読んでいるのだろうと思う。風呂場から出てくるとキッチンへ向かい、焦げた甘い豆を粉にしたものにお湯を注ぎはじめる。これはほぼ毎日必ずしている。お湯を注ぎきった後、それを飲む。コーヒーと呼ばれる飲み物だ。くねくねもおでこもこの飲み物が好きらしい。それはともかく、くねくねが一日のうちで一番神妙になるのがこのコーヒーという焦げ豆にお湯を注ぐときで、それが私にはなんだか面白い。



20111207-_MG_6380.jpg



ヒトの多くがこのように毎日同じ行為をときに飽きることなく神妙に繰り返しているのか否かはしらない。が、ずっと見てきたくねくねは、時期によって変わるものの、こういう朝課(勘違い)を好んでいるようだ。そして私たちにごはんを供するときやら、花の水を替えるときではなく、得体のしれない焦げ豆にお湯を注ぐときに妙にまじめになっている。どうでもいいと言えばどうでもいいが、興味深いといえば興味深い。


20111207-_MG_6384.jpg



推測にすぎないが、くねくねは同じ行為をすることで、今日が昨日とつながっていることを確かめているのではないかと思う。些細だけれど大事なことを忘れないように刷り込もうとしているようにも見える。彼はいろんなことを忘れやすいから、なおさらその思いが強いのかもしれない。もしそうなら、それは大切な事を忘れないようにすることが目的に思える祈りに近いから、あながちこれれらの行為は、くねくねにとっては、勘違ではない朝課なのかもしれない。


私にとっては、私たちのごはん以外それほど大切だとは思えないのだけれど。



[ 2011.12.08 | 猫日記 | コメント: 2 | PageTop↑ ]