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ポン・プルクワです。


私のブログを読んでくれてるヒトの一人が、うちの一階にあるケーキ屋さんに「ブログに感動したから」と言って缶詰の差し入れをポンちゃんに渡してと言って置いていったと聞いた。そのヒトはケーキ屋さんの友だちとか知り合いとからしいので、それほど唐突な話ではないのだけれど、うちにとっては驚きだった。そのヒトに限らないが、どうして会ったこともない、それも猫に、ヒトはこう好意を形にして渡してくれたりするのだろう。


猫の私が慮れるのは、自分と息子と一緒に住んでいるヒト二人が精一杯である。世界平和も中東情勢も町内会の状況も私の意識の外にある。もちろん誰かに読んで欲しいから、その私の意識の外のヒトに向けてこうしてブログを書いているのだけれど、リアルなフィードバック(それも「いつも読んでますー」というコメントやメールではなく、缶詰やレトロトなど)があるとやはり驚く。その巨大な好意はなんなのかと。



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ヒトはみていると、フィクションや自称ノンフィクションのなかで、どちらかと言えば性悪説寄りに自分たちを描く。それは対ヒトに限らず、地球や環境、他の生物に対してもそうで、というかむしろその場合はさらに色濃く自分たちが悪いと思っているフシがある。地球環境を壊してきた人間、動物たちの何種も絶滅においやってきた人間。なるほどそうだが、私からみるとまず「優しさ」というわけのよく分からない他者への好意をこれほどまでに持つ生き物も人間以外にはいないように思う。それは善かどうか知らない。が、すごく特別なことというかなかなかすごいことだろうよと思うのだ。


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それからもうひとつ思うのだけれど、宇宙人じゃああるまいし、人間だって自然の一部だろうということだ。西洋哲学、自然科学を下にした世界観なんだろうが、人工と自然を対比するのは分かりやすいが、ヒトがバタバタともがいているその様は自然に含まれていると私は思う。

だから、批判ではないが、ヒトがコマーシャルで(コマーシャルな話だからなのだろう)、地球を大切に、とかエコとかいうそのことば「私たち人間のために」と言い換えるとすごーくすっきりするはずだ。私は地球に会ったことも話したこともない。人間も一部のヒトを除いてそうだろう。そういうぼやっとした環境でしかない地球に「優しく」って意味がよくわからない。歩いていて「あ、踏んでごめん」くらい言って回るなら面白おかしくそして少しは理解できる。でも地球のためじゃないだろうと。ヒトのためにと言ったってそんなにわかりにくくなる話じゃないはずだ。


けだし、ヒトは(アメリカ人の話なんかみていると特におもうんだけど)罪悪感が常につきまとっているように思う。その原因を日々作り、それを払拭するためにまた日々努力している。そんな風に見える。だからだろうか、ヒトはやっぱり面白い。怖くもある。それはヒトもおなじなのかもしれない。自分で自分が怖いこともあるのだろう。


私はただの猫だ。子宮もない今、この思いを遺伝子に乗せることもできない。息子も去勢されているし。だから違う方法で私は私を残そうと思っている。このブログもそのひとつだ。こうして胸中に湧く些細ないろいろを脈略よりも書き留めることを優先して書き留めていきたい。


私が今日言いたかったのは、ヒトは優しい動物だ。応用を知る生き物だ。それゆえかだいたい間違うし迷っている。でも面白い。霊長かどうかはしらないが、パイオニア的ではあると思う。そんなヒトにけっこう守られながら私も息子も生きている。


あれ?ながなった?変に。久しぶりだからやろか。


アデュ。



[ 2012.03.19 | 猫日記 | コメント: 2 | PageTop↑ ]