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わたしだ。

モンスターエンジンが好きなポン・プルクワです。

小さい子供には目線を合わせて話すと良いと聞く。相手の身になって考える殊勝な姿勢である。私も私がいくら声をかけてもクネクネが答えようとしないときには、その言葉を思い出し、相手の目線に近づいて話してあげている。そのために素敵なバディに鞭打ってこんな脚立に登ることもよくある。「健気」という刺青を入れても良いほどいじらしい私だが、刺青を入れても毛が邪魔して、誰も見ることができないので痛いだけ損だ。そもそも入れたいわけではないし。自分の喩えに断りを差し込むなんて良くない喩えだったかもしれない。



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刺青と言えば、例えば「健気」という漢字をクールだと感じて、気軽にいれる欧米方面の外人さんたちは、これまた気軽に漢字を間違えて「建気」などと刺青を入れたりするようなことをしている様をこれまたテレビを通してたまに見る。このあいだは何かのドラマで「女人」と刺青をいれているのをみた。そんな良く意図の分からない刺青をいれるくらいなら、「投資」とか「躊躇」とか「東口」とか「用賀」とか「勝手口」とか、少なくとも読みやすい漢字にしたらいいのにと思う。ものすごくどうでもいい話だけれど。これなら日本人も「へー投資とかやっているんだ?」とか「私の友だちにも用賀に住んでいる人いたよー、なんかよく覚えてない街だったわー」とか話のきっかけにはなる。「緑」と刺青をいれているのも映画かドラマで見たが、これだとそんなに話題にしづらい気がする。漢字刺青コンサルタント業を誰かやったらいい。



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「プリズンブレイク」という映画で兄を救うため頭も良くて格好も良い弟が、脱出用の地図を自分の背中にがっつりと刺青として入れて監獄に自ら入るというくだりがあった。見上げた根性である。でも自分で見られないから、鏡で見ていた。くすりとしてもいいお茶目シーンとして私の目には写った。それから「メメント」という映画では記憶がすぐに無くなる主人公の男が、忘れないようにと全身に刺青を入れていた。こちらはこちらで入れる言葉の吟味が大変だなと思った。「帰りにトイレットペーパーとキレイキレイの詰め替えをセイジョーで買う」とか「パンツの穴のDVDを返す」とかそういう日常的なことをいれちゃうととっても恥ずかしいだろうな。それに全身すぐにいっぱいになってしまう。

今さら気づいたんだけど、ライフワークとして書いているこのブログ、にもかかわらず、なにこの私が猫であることにまったく関係ない刺青話。昨晩肉の焼ける匂いが部屋中立ち込めて、それでいて食べられないなんてなんて残酷なテーゼ(テーゼ関係ない)なんだ、とかそういうことを書けば良かった。これがあの後の祭りか。


少しふて寝しよう。



[ 2012.05.10 | 猫日記 | コメント: 2 | PageTop↑ ]