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ポン・プルクワです。

生き物の身体というのは実はけっこう音がする。私たちはよくヒトの身体にのってぼんやりすることがあるのだけれど、それとヒトに限らず息子や私ものったりのられたりしながらぼーっと過ごすこともあって、そうすると相手の身体の中から音がすることにぼんやりと気づく。ごろごろという音、ごーーーっという音、パキッという音、ぎゅるぎゅるという音、そとから聞こえてくると音とはまたちょっと違った音である。そんな音を聴きながら私は命というのは存外、黙っているときにも騒がしいものなんだなと思ったことがあった。





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口数の多いヒトも少ないヒトも身体の中から聞こえる音は騒々しい。騒々しいといってもやかましいわけではなく、ひっきりなしに何かしらの音を出しているという意味だ。私は死をそれほど知らないし、忘れがちな質なのか喪失という感覚もヒト様のそれより少ないから、命という言葉の意味を実感するのがたやすくはない。実体があるのにある意味、形而上学的だ。しかし音や温度という側面から捉えるとずいぶんと実感ができる。



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そういう意味では、私は毎日に命に触れながら、ときにのっかりながら生きていると言えるのか。私にとって命とは温かくて、騒々しくて、触れていると落ち着く、それでいて私の意のままにはならない、そんな存在である。

意のままになったらもっといいのにな、と思うこともあるが、そうなるとそれは私になってしまうから、触れていたって寂しい気持ちが消えることはないのだろう。意のままにならない存在だから、それに触れているとき、誰かとつながっていると感じられるのだろう。




[ 2012.06.26 | 猫日記 | コメント: 1 | PageTop↑ ]