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あーどうも、ポン・プルクワです。

ここ最近は朝ごはんがだいたい5時半過ぎに出てくる。出てくると言っても、息子によるみゃーみゃー攻撃に始まり、私のお腹の上にどっしり乗って待つという武田信玄のあれ、動かざること山の如し戦法による攻撃をし、それでもダメで二の腕を噛むという一時的接触な攻撃に至っての結果ではある。だいたい5時半に起きるのはくねくねの目覚ましで、私たちも起きているのだ。それなのに当人が寝たままというのはいかがなものかというわけである。

果たして朝食(だいたいカリカリ。最近味変わった)を食すと、最近のくねくねは私たちの朝食を供した後、いわゆる二度寝をするのだが、その脇で寝るというのが習慣になっている。このごろは息子の方が先に行ってくねくねの腕枕で寝ていることが多い。これは私が先に寝ていると自分の寝る場所がなかなかなくて行ったり来たりすることになってしまうことから学習した結果なのだと思う。わたしは優雅なので、のんびりとした足取りでベッドに向かう。たとえくねくねが二度寝に突入してしまっていて、わたしの場所を空ける努力をしてくれなくとも、脇で優雅に眠る。





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それから少しするとくねくねは起きて外に出ていく。芝刈りとか川で洗濯とかなのだろうか。帰ってくるとだいたいいつも水をひっかけられたみたいにびちょびちょになっている。今モスト近づいてきてほしくないヒトにノミネートするし、される様相なのである。なぜあんなに濡れているんだろう。それからくねくねは掃除したりお風呂入ったりなんだりとばたばたとして過ごすが、ふと気づいた時にわたしたちに近づいてきて「日向ぼっこの時間だよ」といっておせっかいにも私たちを窓辺の赤椅子に運ぶ。おせっかいだし、うざったいし、求めてないし、なのだが、慣れみたいなものがあってか、私たちも「どうせ、そのうちくねくねが運んでくれるし、それまでここで寝ていよう。何も考えずに。もし考えるとしても向井理のふとももの柔らかさ、さんまの缶詰、最近食べていないシーバのレトロト食べ放題チケットが実はこの部屋のどこかに隠されているという噂を耳にするかも、という前向きで楽しい妄想について考えるだけにして、ベッドのうえで静かに過ごしている。





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では、もうほぼ動いていないのか、それは生きている意味があるのか、寝たきりと言っても過言ではないのか、植物状態と言い換えられるんじゃないのか、植物ならまだ光合成をして酸素を作るけど寝ているだけなら二酸化炭素だけだしてなんの役に立っているんですか(かわいいからヒトに見られるだけで役に立っていますけど何か)、とおもわれるかもしれない。しかしここ最近くねくねはおもちゃでよく遊んでくれる。そんなときはしばらく眠っていた(文字通りに)野生の血と本能、そしてスピリッツが呼び起こされ、ものすごく動く。北京オリンピックでのシェリー=アン・フレーザーを思い出させるほどの俊足(容姿はシェリーと私ではだいぶ違う。猫とヒトとかそういう意味ではなく)である。高まるとくねくねが振り回すねずみのおもちゃの動きがスローモーションになってみえてくる。野球で言うと縫い目が見えるほど、に近いであろう。我ながら凄いと思う。インタビューされたら、わたしも「いやーもってますね、うちは」的なことを言うであろう。でも「何を?」って聞かれたらどうしよう。

考えてみると私には所持品がない。



[ 2012.06.28 | 猫日記 | コメント: 1 | PageTop↑ ]