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ポン・プルクワです。
「人肌恋しい」とは、うまい表現があったものだなと最近何かの機会で思った。「人肌」って。「人肌」かぁ。それがひとつの言葉になるほどの普遍的なじょうたいってことなのだろう。ちなみに私は「人肌」は苦手である。第一に爪を立てて掴まることができない。膝のうえにのっていても、落ちそうや!ってとこにむんずと爪をたてるともれなく「ぎゃーーー!」という悲鳴が聞こえることになってうるさい。それに申し訳なくだって思う。だから私は人肌より布、できればデニム生地がいい。

ただ、まあ人肌って、肌にこだわりは、斯様にないのだけれど、体温は良い。ここ最近はずっとくねくねと息子と三頭で寝ている。横で誰か寝ているとすやすや眠れる。しかし、クネ・クネオはたまに寝相が悪いことがあるので、そうなると居心地が悪くなる。以上は余談だ。



息子は運動能力が高い。が、しかし彼のできることのほとんどは私だってできる。「しない」イコール「できない」と勘違いされては困る。私は煙草のポイ捨てもしなければ、チュイーングガムのポイ捨てだってしない、それは「出来ない」という意味では、…………あ、できないか。たとえば間違えた。いつも例えを間違える。なんし、息子ができることのほとんどは私だってできると言いたい。





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こんなジャンプだって、もう私は10年前からできている。8年前から飛んでいる間に一句考えられるようにもなった。「飛んだのに 着地する場所 見つからず」だとか「来たものの 何をするため ここにきた」だとか、そういう高度な句をすらすらと詠む。多才。





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息子など、ただ飛んでいるだけである。ただ飛ぶだけなら、蚤だってできる。べつに蚤をばかにするつもりはない。しかし尊敬もしてない。飛ぶだけでは芸がないといいたい。飛びながら暗算とか飛びながらタレントの誕生日当てをするとか、そういうことをして生き延びていくための力にしていってもらいたいと思うのだ。




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うそ。まったく思わない。思うわけがない。息子が器用なことをするたびに、「カントはすごいねー」&「それにくらべてポンちゃんは……」という嘆息混じりの常套句にものもうしたいだけだ。私だってできるが、しないのだ。しなきゃいけないならするけど、私たちに「しなきゃいけない」ことなどない。


[ 2012.07.13 | 猫日記 | コメント: 1 | PageTop↑ ]