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でこ
2012.07.26
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ポン・プルクワである。


おでこがこのうちで暮らさなくなってしばし経つ。おでこというのは、ここにくねくねと住んでいた女のヒトである。私がくねくねと一緒に暮らすようになったときから、くねくねは誰かと一緒に住んでいた。最初は男で、そこに女のヒトが加わって、男のヒトが出ていって、少しすると女のヒトが出ていって、それから引っ越して、また男
のヒトと暮らして、しばらくしてから今度は女のヒトと暮らして、そこで凄く長い時間を過ごして、それから今度はそこを出て、おでこと暮らすようになった。ヒトの人生の一部とは言え、ダイジェストで語るのは失礼な気がするが、そんな流れでのおでこであった。そんなおでこが出ていって、珍しく今くねくねは一人で暮らしている。

私はくねくねと暮らすようになって、いろんな人たちを見てきたし、一緒に暮らしてきたので、ヒトの多様性、まあ多様性なんて堅苦しい言葉を遣わないで語れば、くねくねを軸としながらもいろんなヒトたちを見てきたし、一緒に暮らしてきた。誰がどんなヒトだったと今ここで語ろうとすれば、おそらく私は腱鞘炎になってしまうであろうし、猫が腱鞘炎になるなんて、ちょっと矜持に関わるほど恥ずかしいだろうから、やめておく。おでこの話だけ少ししたいと思う。




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おでこについて、今までも少しは書いてきた気がするが、それでも改めて書いてみる。おでこは、静かなヒトだ。大人しいというわけではない。よく笑うし、けっこう喋る。しかしなにかしらが静かである。私は魂というものも心というものも見たことがないが、私の想像するそれらは身体の内側にあり脈打つ様相を持っている。その魂のようなものが身体の外に漏れ出すさまが静かなのではないだろうか。そう感じる。

一方で、くねくねはすごく五月蝿く漏れている人間である。それでも少しずつ少しずつ抑制がつけられるようになっているようには見えるが。しかしくねくねの話は今回したくない。おでこの話に戻す。

おでこが内側で、脈打ついろんなものを静かになだめているように見えた。なぜだか分からない。大きなコンプレックスを抱えて歪んだ生き方をしているようにも見えなかった。でも何か大きな岩のようなものが心内にあったような気もする。それはにじむ水のように静かで、それでいて生命の温度もあった。なんだろう、今更ながらに思う。おでこの静かさは、というかおでこが静かに出していたあれはなんだったのだろうか、と。





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静かに出していたもののひとつは、陳腐な言葉で遣いたくないのだが、造語したとしても伝わらないだろうから、諦めて遣うが、愛だった。彼女は、私と息子を静かに大事に思っていた。私たちはそれを温度のように感じていたし、そのためか息子は床に脚を伸ばして座るおでこの脚の間に好んで居座るようになった。(のちそれはちょっとした癖か儀式になった。)もうひとつは深い悲しみだった。断っておくが、それはくねくねとのすれちがいやらなにやらによるものではない。そんなものであれば、ここに書くことはない。オスとメスの話を語るのはフィクションだけで良い。

私にはヒトの悲しみに触れるすべがない。そして悲しみとは触れるべきものかどうかもわからない。どちらにしろ、それはもうヒトがヒトに対してハンドルしていくしかないであろう。猫の出る幕ではない。しかし、それでも思う。わたしはおでこのなかにあるあの岩のようななにかを少し小さくできたらいいのにと。爪を研ぐかなにかして少しずつでかまわないから。

近々またおでこはうちに来るだろうから、とりあえず少し舐めてやろうか。おでこはごはんを出してくれることは滅多になかったが、寝相がいいし、怒らない。今度うちにくるとき缶詰かシーバを持ってきたら、おでこの魅力について書くことにしよう。おほん。




[ 2012.07.26 | 猫日記 | コメント: 4 | PageTop↑ ]