FC2ブログ
_MG_4918.jpg


さいきん、にゃんせいについて考えることがときおりある。にゃんせいとは、すなわちヒトで言うところの人生。猫用の皇潤って売ってないのかな。売っていたら欲しいな。あと資産運用についても興味を持ち始めた。先物や為替、不動産よりはやはり金やプラチナのほうが良いのか。でもそうか。猫だし資産とかなかった。資産といっても息子を産んだくらいか。ってそれは立派じゃないか。生き物として。その息子も立派に(?)育った。去勢されれしまってポン・プルクワの代も息子で終わってしまうが、(あ、私、ポン・プルクワと申します。猫です。美形)遺伝子さんたちに気を遣うわけでもないわけで、そういう使命を持ちあわせてはいるつもりはない。

ただ、わたしのにゃんせいとは何だったのか、今後どうあるべきなのか。川の流れのようなのか。ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。知ってるけど、何か。かように当然のことを「言ったった」感満載で語れば、格言らしく聞こえるのであろうか。話が飛んでいるやしれぬが。やってみようか。


昨日も一昨日も食べられたからといって、今日また缶詰が食べられるとは限らない。


あまりにも即物過ぎたか。格言らしさゼロである。


水を飲まずして過ごせば、のどが乾く。のどがかわいたら水を飲めばいい。のどの乾きはおさまるであろう。


うん。で?
そんなリアクションになるだろう。「ははーん、深いねー」みたいなふうにはならない。やはり方丈記って凄いのか。格言は格言たるべくして格言なのであろうか。



ゆく車の流れは絶えることもあるし、ときおり同じ車も通る。


借用しているし、何も言っていないし、そうだね!っとしか思われないだろう。






_MG_4923.jpg


噛まれる痛さを知っているから、私は相手がけがをするほどに誰かを噛むことができない。


! ぽくない? なんかぽくない? いやー格言って難しいわ。そうそうにゃんせいについてだった。わたしの考えるにゃんせい感とは具体的にどうようにものかというと、あとなんかシーバ食べらるのかなぁとか、ささみ食べたいなぁとマグロの半分やいたやつ、というか牛のヒレ肉とかもう一度食べてみたいなぁとそういうものだ。あといっぱいなでられたい。それから1日もはやくポン・プルクワ・デー(一日中私のことだけを大事にしてくれる日)が制定されればいいのに、とか。そういうの。

それ、にゃんせい、関係ないかな。いやいやいやいや、そんなこたぁない(たもさん)。この1秒も立派なにゃんせいの構成要素。この希望もつれづれなる思想と些細な行動のすべてがこれにゃんせい。しからば、にゃんせいにとって最も重要な行為をまずまっさきに実践せんとする。それすなわち、すいみん。

おやすみなさい。


[ 2012.09.14 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]