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箱。箱。箱。はこ。ハコ。八コ。haco。最後から二番目だけ違うのよ。

ポン・プルクワです。

部屋にはもう箱だらけである。箱祭り。4年に一度の箱祭。ハコフェスティバル。ハコフェス。である。よくわからないが箱だらけ。まあ話を聞いていると、でていったおでこの荷物がはこばれるとのことである。そういうのは、猫の関するところではないが、とにかくもうこの箱ぜんぶ中に入れればいいのに! といういらだちを禁じ得ない。箱、すなわち、インするものである。ヤマは登るもの。ウミはもぐるもの。セミはたべるもの。そしてハコははいるものである。しかし入られない。中身びっちりである。これはたとえるなら、缶詰だらけのなかに住んでいるいるのに缶切りがなくて(というかヒトがいないから)食べられない、そのような不条理と同じである。入れないないなら不要のハコたち。しかしまあ脚の爪を噛んではちぎってってとやっているうちに少しは落ち着いてきて、思ったのだが、このハコ、そもそも私たちのものではなかったのだ。であれば、このいらだち、よろしいものやないであろう。だから気にしない。気にしない。入れないなら、そうか登ればいいのか! にすみやかに思考を異動させるこの柔軟性。自分のことながら偉いな、かしこいなと感服していまう。






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そんなわけで登ってみたのだが、降りにくい。決して降りられないわけではない。余裕である。したんっしたんっ!と床レベルまで軽やかに降りることなど、猫の、それもトップレベルのほうの猫である、私にはぞうさんもないことである。しかし、私は、くねくねや息子、ひょろなが、その他、いろんなかたがたから愛される身。もうこの体は私だけのものではない。私が怪我をすれば、多くの方々に心配させ、眠れない夜を過ごさせてしまうやもしれない。そうなると、気力も低下して、買い物する気も湧かなくなってしまうかもしれない。そうなると日本の経済はまた低迷してしまう。つまるところ、私が怪我すれば日本があぶない。だから、私は怪我をしてはいけないのだ。そう考えるとこのハコのヤマから、ダイナミックに床レベルまで飛び降りるわけにはいくまい。さきのことをちゃんと考えられないとソフィスティケートされているとは自称できないのである。


そんなわけで、下ろしてもらった。


[ 2012.09.24 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]