おっくう
2012.10.04
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億劫ということばを知った時には、そうそうそういう感じってよくあるからそれを表す言葉があって喜ばしいと思った、ポン・プルクワ、猫です。

この写真、すごく私が悪くて息子が迷惑しているように写っているかもしれない。みようによっては。弁解というか、シンシアにことの経緯を説明したいと思う。息子と私はとしがそう大きく離れているわけでもないが、生きてきた濃度の違いのためか、私には落ち着きと気品と知性と創造性と責任感、いざというときにリーダーシップ(まだ発揮したことがないからきっと必要になれば発動する)、時代を切り開いていく前向きな力、のみならずときに過去をも振り返り、必要な知識と考察を再構築する慎重さ等々があり、一方、息子にはそれらが足りない代わりに元気がいっぱいある。

私は息子のような元気がないから、写真にうつる4階に位置するマンションの一室にこもるには、それなりの億劫さが伴う。息子はたたたんたんと登ってここに入いることができるが、私は一段一段登ってようやくここに入ることになる。一段(2階)登っては「キンモクセイの香りがする季節になったわ。いったい何度目の秋かしら」と思い、二段目(3階)に登っては、「今年はとうとう蝉を食べることができなかったわね」と思い、それから、さて一休みするためのもうひと踏ん張り、鼓舞してようやくここに入るのだ。



そのとき、息子は奥の方にいたため、私はマンションのなかに既に息子がいたことに気づかなかった。マンションに入った刹那に「息子おるやんけ!」と気づいた次第である。しかし気づいてすぐにこりゃ失敬とばかりに部屋を出るには、私のやる気は使い果たされていた。私はもうマンションに入ったら眠りながら、羽海野チカは面白いマンガですごく儲けているから、羽海野チカの猫はとても美味しいものを食べているに違いない、「例えばどんなものを?」ということについて想像を巡らすつもりまんまんでいたのだ。なのに息子がいたくらいで、それらを断念してまた下山するなど、どだい無理な話である。しばらく休む必要がある。英気を養ってからでなければ、先客であったからといって、息子にすみやかに「こりゃ失敬」と言うことができない。申し訳ないがしばらくちょっとここで休ませて頂く必要があるし、それ以外に選択肢はない。そんな瞬間の写真である。




息子には悪いが、私が厚顔な猫というわけでもないことをこれで理解していただけたと思う。それにちょっと涼しいときだったので、息子も私も暖かくなれたことだし、窮屈なことをマイナス1としても、温かいこと、英気を養えたこと、スキンシップが取れたことなどプラスは3以上あるので、結果よしである。

しかしまあ、以上の思いや経緯を漢字では二文字で説明できちゃうのである。

億劫。


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