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ポン・プルクワ。

猫にとって幸せとは何かと言えば、幸せとは何かということをほとんど考えないということである。好奇心はなるほどあるが、探究心というものはそうはないように思う。この箱のなかは? といううずうずは枠が、この箱はどんなふうにして出来ているんだろう? とまでは考えない。ご飯が今日は缶詰だらけでちょー嬉しい! とは思うが、明日も缶詰ばっかりでたらいいのにな! 無理かな! どうかな? はぁ(ため息)、みたいには思わない。そもそも明日のことなど考えない。私はさきほど洗いたての洗濯物の上で寝ていたのだが、洗いたての洗濯物は温かく新しく心地が良い。その上で寝ているととても嬉しい。幸福であると言って良い。ただ私の幸福はほとんど「嬉しい」と一緒である。しょうじきどっちでもいい。だんだん洗濯物が温かくはなくなってくるが、そのかわり私の体温であたたかくなる。いっそ心地よくなるわけで、こういうことに私はばっちり幸福を感じる。が結果の話で、幸せになりたい、とは思わない。そんな先のことは考えられない。

ただ先のことをまったく考えないかといえばそうでもなく、くねくねは今日はひとりで今(あの恐ろしい水がいっぱい出る部屋で)水に使っているので、もうじきでてきて寝るだろうという気がする。たぶんねるときには私を呼んで一緒に寝ることだろう。いつもはひょろながばかりかまって寝るが、今日は私をかまいながらねてくれるであろう。と期待している。それはなんだか嬉しい。これくらいの先のことなら考えられる。



しかし残念なのは、ひとりで寝るくねくねは秒単位で眠りについてしまうことだ。


そして今なんとなくくねくねが水からでてくるのを待っているのだが、待っている私もすぐに寝てしまって、何をまっていたのかわからなくなることがあり得る。というのもまあ残念といえば残念であるが、それも一緒に忘れてしまえば、残念ではなくなる。



[ 2012.11.29 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]