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花札みたいな息子の写真である。
そんなことを思う私は、洗練された猫、ポン・プルクワ。雌である。


今までしばしば自分の性を女と言おうか雌というか迷ったことがあったが、女というときに含まれる属性の多さったらないなと思うにいたって、雌のほうが潔いと感じ、今後はそう言うことにしようと思う。雌。良い。


「この雌豚が!」


と雌の豚が言われたら、その雌の豚はどんな風に思うのだろう。「雌の豚ですが、何か?」という言うのだろうか。少なくとも気分は良くないはずである。「であるが何?」と憮然とすることであろう。私だって「この雌猫が!」と呼ばれたら「であるが何?」と言うしか無い。「何かね? この男ヒトめ!」と言い返してやろう。しかし、やはり男ヒトだとあんまり言い返したすっきり感がない。それはヒトが表現において、動物を自分たちの種族より下だと思っていることを前提として発達した表現のなかにあるからだろう。「……みたいだ」という「……」に動物をいれれば、だいたい蔑称っぽくなる。たとえば「まるで犬猫のようじゃないか」みたいものもある。犬と猫では全然違うし! 一緒くたにするんじゃねーよ! と思うも、発言されたその場にいなければ怒ることもできない。


しかし先日読んだおしゃれない詩集、エリオットを読んでいたら、

「踊れ、踊れ、熊の踊りのように」

という表現に出くわした。これはなんだか蔑称ではないように思う。熊の踊りはみたことがないが、なんだ愉快なイメージである。何かのひょうしに二本足で立ち上がった熊。しかし立ち上がった途端に何をしようとして立ち上がったのか忘れてしまう熊。途方に暮れる熊。気がつけば両手もあげていた。熊。もう踊るしか無い。熊。あ、ちょっちょいのちょい。踊る。熊。

こんなイメージ。状況が今ひとつつかめないままに、踊りながら展開の様子を伺う、そんな熊がイメージされる。そんな哀れな熊をイメージすると、見下す心持ちより、いやいや実際にあるよね、わかるわかる! そんな同情に近い念が湧く。

がんばれ、ベアー。

ズ?


[ 2012.11.24 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]