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近所の猫が死んだと聞いた。

私に似ていたという。車に跳ねられたらしい。くねくねはうちのまえや近くでよく見かけていたらしい。

私は死をしらない。だいたい誰もがしらないであろう。いや、自分以外の死なら知っているヒトもいっぱいいるだろう。としをとるのはそういうことだと言っているのを聞いたことがある。死。もう二度と会えないということか。でも私の知っている限り、生き物はみな死ぬ。死んだかなーと思ったらまた生き返るーとか100年くらい生きるってのとかすごいのいるみたいだけど、基本的にみな死ぬし、動植物界ではぽんぽん死ぬ。死ぬからいっぱい産む。猫だって、いっぱい産む。ヒトだと双子で大騒ぎだけど、わたしも3頭いっぺんに産んだ。それは死にやすいからだ。私たちは死にやすいのに、ヒトと一緒にいると長生きしがちだから、なかなか死なないものだと思われているのかもしれない。そして実際にけっこう生きる。そとの猫達は家の中に住む私たちの半分の長さも生きないと聞くが、そっちが普通だとすれば、私たち家に住む猫が例外的に長生きしていることになる。



でもすぐ死ぬとか長く生きると関係なく、好きな誰かを失うのは嫌だ。嫌だけど、死なないで生き延びていると、自分以外の好きな誰かは死んじゃう。死んじゃわれると悲しいし、辛い。猫だってきっとそうである。死を悲しむのではなく、不在を苦しむであろう。



でも、生きる。悲しいと感じることも苦しいと感じることも生きるということなのだろう。でも食べて寝る。うんこして爪とぎで爪を研いで、ベッドにあがって伸びをして、日向を探してまた寝たりする。こうして考えてみたものの、私は生きることに関してはヒトよりまっすぐである気がする。理由なんていらなくて、ただ生きる。死んだ猫も、ただただ生きていたと思う。

なにがいいたいかわかんなくなった。



[ 2013.01.31 | 猫日記 | コメント: 2 | PageTop↑ ]