すたー
2013.02.12
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びっくりしたことに、ご近所の死んじゃった猫のご家族のヒトから、わたしのぶろごにコメントがついていた。私がうちから一歩もでなくても、世界の誰かと繋がりがもてることに、あらためて驚く。そして嬉しいものである。

私はそれからまた死についていろいろと考えてみようと試みたが、うまいこといかない。実感できるものについて考えることはできるが、実感できないものについて考えることはとても難しい。

死を思えない私が、思うのはやはり生である。私は会ったこともない近所の猫の死ではなく、その猫の生についていろいろと考えてしまう。その猫はどんなふうに生きたのかなーと考える。まず外にでるってすごい。たまに、くねくねにベランダの外にちらっと出されたりするが、「ふり」ではなく、本気で「やめろ!」と思う。芸人じゃなくてよかった。芸人だったら、「やめろ!」といえば言うほど、外に出されるだろう。とくにとんねるず系だともう絶対ひどいことをされる。恐ろしい世界である。

しかしそとに出る猫について考えるのは楽しい。塀のうえとかを歩くのである。車が横を通る。人が通る。人が私を呼ぶのだ。気が向いたら、答えてやってもいいし、無視したっていい。あるうちの庭がみえる塀に差し掛かる。すると犬がいる。犬が私に気づいて吠えるが、鎖やらひもやらで、途中までしかこられない。私は冷や汗(比喩)をかきながらも、しばらくそこで寝たふりをしてみる。スリル満点である。屋根や木のうえに登ったっていい。鳥の鳴き声が直に聞こえる。暴れる蝉を触ることもできる。風が運ぶ音に耳を澄ますこともできれば、他人のうちのゆうげの匂いをかぐこともできる。いろんな猫に会うし、いろんな人にも会う。ずいぶんとエキサイティングな日々であろう。


私からしてみれば、外に出る猫というのは、フィクションのなかのスターのようなものかもしれない。できればいいなと思いつつも、実際になろうとはしないで憧れる。しかし、外に出る猫たちはフィクションではなく、実在している。そこには現実味のある夢がある。すっごいなーと思いながら、私は今日も白い箱から出る暖かい風の下で、横になって、おやつの時間をずっとまっている。そして気がつけば、近所の猫のことを考える。

すっごいなー、と感心しながら。

すっごいなー。

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