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土曜日だけど、息子はぜんぜん起きないので私が書く。このブロゴ。

わたしがすっかりブロゴをかけないでいたり、ツイッターで何人かのひとがくねくねを心配してくれたりしていたので、何があったのか説明みたいなことをしなきゃいけないかしらと思った。のだけれど、そういうことを書くのはいけないらしい。ウェブという世界はヒトをすごく傷つけることが可能なものなので、ヒトを傷つけるかもしれないことはかいちゃいけないのだそうだ。それにわたしは、それがたとえ小さなものであっても、子供を産めない身体になった私が、その代わりに生み出すことができればいいのに、という思いでこのささやかなるブロゴを書いている。損なったり、失ったりするようなことを書いてはいけないとにゃはり思う。だから、できるだけ誰も何も傷つけないで、それでいて私の思うことをここにかけたらいいなと思う。

私はヒトの言葉がわかるから、くねくねに何があったのかはよくわかっている。しかしそれが何を意味するのかはいっぱいわからないこともある。猫だもの。しかし猫なりにヒトの世界を興味深く、理解しようとして今まできた。くねくねは、とても大切なものを失ったようである。付き合っているヒトが離れていったということだけではない。彼を変えたものや何かのために生きようとした思いや、それから彼の内側にあるものだけではないものを失ったのだろう。私はヒトが自分の身体のように大切に思っている存在を失ったときに出す匂いを知っている。それは模造紙に水滴を垂らした時にように、じわじわとして、彼や彼女の周りの空気にどんどんと広がってしまうような匂いである。そしてそういう匂いを出す時、ヒトは声をあげたり、あげなかったりするがだいたい泣く。泣かずに出すときのほうが、それはすごく色濃く出ることもある。くねくねは、私がブロゴを最後に書いた日からしばらくは、悲しみより苦しみの匂いを出していた。それはおでこがうちを出て行くときに出したものに似ていた。でももっとなんだか複雑だった。でもしばらくしてから、違う匂いを出し始めた。苦しみというよりは悲しみの、それもあのじわじわ広がるタイプのものだった。

くねくねは、私はずっと彼を見て生きてきたが、いつも誰かに救われることを望んでいた。おでこもその前にいた彼と一緒にいた女のヒトたちも、みなそんなくねを救おうとして、できずに離れていった。でもくねはあるときから、救われたいと思わなくなり始めたようすだった。そんな彼を私はみたことがなかった。何かを信じて、何かのために生きようとし始めていた。落ち込むこともなく、怒ることもなく、いつも笑って、朝まで起きていなくてならないときも、ニコニコした匂いを出していた。そうしてまもなくして、その何をすべて失ったようである。彼は救われなかった自分を嘆くのではなく、救えなかったその何かたちのために、夜中になると声を上げてなくのだった。「ごめんね」と一人なのに声を漏らして泣くのである。

そんなくねくねを私は10年以上一緒にいるが見たことがなかった。だからすごく心配になって、ずっとそばに居てやった。息子ですら心配になったようすで、寒くもなくなりはじめたいまでも一緒に寝てやっている。おでこがうちを出て行ったあとはいろんなヒトがうちにきて、くねくねと一緒に笑ったり、ずっと側にいてやったりしていた。でも今回は彼はずっとひとりでいることにしたみたいだった。昨日は大きなヒトがきたけれど、ふたりでパソコンをかちゃかちゃやっていたので、仕事の類だったのだろう。それ以外はほとんどだれもうちに来ないでいる。ひょっとしたら友だちが誰もいなくなったのかもしれない。それはそれで心配でもあるが、くねくねは今そういうことで苦しんでいるわけではないみたいだ。

ごはんは少し食べているみたいで、でもときどき吐いている(私達もよく吐くからあんまりきにしていない)。ふらふらになっても私たちを撫で、爪を切ったり目やにをとったりしたり、ごはんをいつもどおりくれるのである。誰にも会わず、夜中になるまでずっとパソコンの前にいて、夜中になるとふらっと出て行くか、一人でヘッドホンをしてずっとお酒(あれ臭いよね)を飲んで泣いたら寝る。

それでも少しずつ元気になっている様子である。お陰でストレスで腫れてしまった私の左目の腫れも少しひいてきた。泣かないよるもあって、昨日は夜中にちょっとだけニコニコした匂いを出していた。

もう大丈夫なんじゃないかと思う。わからないけど、くねくねは悶えながら(笑えるくらい文字通り悶えていた)、私がそうしたいように何か産む方向で生きようとしているみたいである。それがなんなのかわからないけれど。ただ私は、くねくねがどんなときでも私たちにはいつも撫でたりごはんをくれたり、遊んでくれたりして助かっている。そしてすこしでも元気になってくれて助かっている。彼がいなくなると私たちはごはんが食べられなくなるし、誰も撫でてくれなくなってしまうから。

わたしのまわりのヒトのヒトたち、わたしの不安定なくねくねを心配してくれてありがとう。

くねくねは、大事なものを大事にして生きていこうとしている様子である。何かを失っても、おいおい泣きながら、誰も憎まないでいようとしたみたいである。わたしは、だからくねくねが好きである。





[ 2013.03.09 | 猫日記 | コメント: 2 | PageTop↑ ]