FC2ブログ
_MG_3940.jpg

どうも猫です。

昔の写真を見ると、なんとなく昔のことを思い出す。過去にあったことについて考えるということはあまりないのだけれど、写真をみるとこことは別の場所、別の時間があったんだとそれなりに実感する。そして思うのは、たしかにちょっと太ったかもしれないということだ。もう少し以前はかろやかに動けた気がする。今ではベッドのうえに上がるのも少ししんどい。そういうわけで、レトロトダイエットをしたいのだが、朝は相変わらず、かりかりで、それも量が減っている。3時になるとおやつの缶詰がでるが、それ以降はご飯がでないか、でても少ない。レトロトはなかなか出てこない。ダイエット系のCMをちらっと見てしまうようになった。しかし回転するなんちゃらが分間になんと3万回脂肪をほぐす!、そんな類の商品はわたしが使うと毛がからまって大変なことになるはずである。しぜんとゆっくり痩せていってほしい。なんのくろうもなく。今のところちょっと減ったくらいではそれほどつらくはない。ただご飯が出てくるのが遅くなったり、少なくなった今、息子がすっごくうるさい。息子の鳴き声とまぎゃくの周波数の音をだして少しの間けせたらいいのにと思うこともある。なぜなら、「ごはんはー?」というニュアンスの鳴き声をきいているとだんだんわたしもそれっぽい気分に同調してしまうからだ。そしてわたしは最近ちょっとでも目立ったことをすれば、「あ、そういえば」という顔をして目薬をされる。日になんども。なので目立ちたくない。ささいなことながら、なかなかうまくいかないものである。

それはそれとして昔の写真をみると、別の時間と空間と今を結んで、普段はそれほど感じない時の流れを感じられるようになる。明日が今日と同じようだとは限らないのかとか。わたしが少しだけ太ったように、くねくねもどこかしら変わっているのだろうし、息子もちょっとだらだらするようになったし、そとは暖かくなってきたし、来客が増えてきたし、小さな変化はずっとある。そういうのは、探さないと見つからないものが多いし、探すとけっこう見つかる。今日が昨日と同様に晴れていたって、風の音や匂いが違ったり、昨日より寒かったり暑かったりする。その小さな変化の集まりが、生であり、死なのだろうか。

にぇにぇ。

[ 2013.05.07 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]