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ポン・プルクワです。猫です。猫のポン・プルクワです。

3回あった食事が2回になったことに慣れてきた。息子は水浸しのかりかりを食べると吐くのだが、それにようやく気づいたくねくねが水を入れずにだすようになって、息子が吐かなくなったので、息子の方もおやつが出るとおとなしくなる。これを適応というのだろう。わたしたち、頑張って生きています。

くねくねは、私たちに最近になって、よく話しかけるようになった。今までは撫でてくれたり、遊んでくれたりはしていたが、注意をするとき以外それほど言葉をかけてくることはなかった。それが最近になって、少しずつ話しかけてくれるようになってきた。ヒトとしては、映画『キャスト・アウェイ』のヒトみたいに寂しさのあまりバレーボールを友だちにした男のようになっていくのでは?という心配もあるが、猫側からは嬉しい。猫としては、話しかけられるというのは嬉しいものである。声と目(猫的には視線をずっとあわせるのはちょっと違う意味もあったりするが、ヒトと長く暮らすとヒトの視線の遣い方に近くなるのよ)は、相手に自分の意識が向いていることを示すためのサインなのだ。だから私もよく、くねくねに向かって鳴いたり、じっとみたりするのだが、くねくねが私をじっとみたり、話しかけるということは、私のそれよりはすることが少なかった。今はまだ、「暖かいね」とか「寒いね」とか「雨だね」(イギリス人か?!というほどの天気の話しかしない)という言葉ばかりだが、どんどんもっと開襟して話をしてほしい。天気以外の話も聞いてみたい。

ヒトはよく、他人同士がきちんと理解しあえることは不可能だとか可能だとか言うが、理解しあうことがそれほど重要なのだろうか。自分のことを大事に思っていること、その相手が自分に意識を向けていること、一緒に起きて、晴れだの雨だのを一緒に過ごして、『あまちゃん』を一緒に見る。それで充分じゃないか。何かを求めるのは良いことだが、足りていることを知るのも良いことだろう。誰かの本で、幸せだと思っているヒトが幸せだ、ということが書かれていた。そういうことなんでしょう。

とは言え、私はもう少し日当たりの良いところへ引っ越したい。日当たりは今足りていない。



[ 2013.05.08 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]