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あと57日。
猫なのに日にちを意識するのしんどい。
あたしはポン・プルクワ。猫である。雌で子持ち。母子家庭である。


移動が嫌いなくせに、引越しだと騒ぐのもなんだか居心地が悪いし、ちょっとしつこいので、気分転換に本でも読もうと思ったら、『アッカンベー!! チャーリー・ブラウン』という本があった。漫画みたいなので開いてみると、案の定漫画だった。ものすごくスヌーピーに似ているのだが、背中に黒い模様がある。あたしの記憶ではスヌーピーには背中に黒い模様などない。グーグルで確かめてみた。猫でもグーグルは使える。するとちらっとある。黒い模様があった。つまりこの本はスヌーピーである。うちにはかつてうちの至る所にスヌーピーとドーナッツの飾り物で溢れている時期があった。宗教? かと思ったが違うようだった。だれも参拝したり、奉ったりしてなかった。しかしうちには読み物としてのスヌーピーはなかったので、ずいぶんな今更感満載の登場である。しかも、英文でのタイトルは“NYAHH! NYAHH!”である。これは猫だろう。猫の鳴き声ではなかろうか。それが「アッカンベー」と翻訳されていることに違和感を覚える。「ねぇ、ねぇ、チャーリー・ブラウン」が正解なのではないか。しかし、なぜ猫がタイトルコールをするのか。つまりNYAHHは猫の鳴き声ではないのでしょう。ときどき外国のヒトが息子のなまえをカントと聞いて「まあ!」という顔をするのをみかけるが、きっとそのヒトの国ではカントは変な意味なのだろう。

世界は広い。

世界は広いが部屋は狭い。狭い部屋でこのニャンニャンチャーリー・ブラウンを読む。刺激が少ないので。これがまたちょっとおもしろい。『寄生獣』みたいな面白さではないが、なんだかおもしろい。「残念」や「不完全」が寄り添って世界を完成させている。ルーシーのチャーリーへの冷たさとシュレーダーに対してのやさしさの違いも、ライナスの病気っぷりも、ピッグ-ペンの徹底したどろんこっぷりも惹かれるものがある。そのうえ、スヌーピーのやや斜めからヒトをみた態度にはとても共感してしまう。


ここ最近でわかったことがある。一緒にいるヒトが複数いるとあたしの拠りどころぐあいもちょっと分散するのだろうということである。くねくね一人と一緒に暮らしていると、やっこがいなかったり、机から離れない限りあたしたちはブラシで余分な毛をとってくれたり、撫でたり、遊んだり、膝にのせてくれたりするヒトがいなくなるのである。やっこひとりでもいいが、そのぶんおおいにかまってもらわないとだいぶ生命のある日々がものたりなくなる。


不完全な二頭と一人でどれほど、この世界を完成させられるのだろうか。

しかしまあ、チャーリー・ブラウンを読んではじめて、あたしは不完全であることの意味というものを知ったように思う。それは隙間に自分をいれてあげたいという気持ちを思い起こさせるのでしょう。あたしや息子が自分では舐められない顔や頭を舐め合うようなことなのだろう。

Good grief.


[ 2013.08.09 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]