ぽかぽか
2013.12.02
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ポン・プルクワという名を持つ猫です。

猫がヒトに対してどう思っているのかということを伝えたいものだが、あたしは他の猫を息子しかしらないので、猫全般を語ることができない。猫がその言葉を遣うのも奇妙に思うが、遣うなら「個人的な」話しかできない。個人でしかほぼない生き物代表なので、あえて遣うのは、ちょっと変よねって思うのだけれど。

あたしは息子と一緒に部屋に暮らしている。渋谷区の大山町というところで、最寄り駅は代々木上原駅だという。部屋から出ないあたしたちにとって住所は記号にしか過ぎず、世界の広さは正直言ってあたしたちにほとんど関係がない。あたしたちの世界はこの部屋であり、窓の外はテレビみたいなものである。窓の外には鳥やヒトの姿が見え、風や車や季節の音が聞こえてくる。あたしが一緒に住んでいるヒトは、くねくねといってひょろっとした男である。以前はおでこの広い、おでこという女のヒトもいたが、いつの間にかいなくなった。しかしごくごくたまにうちに来る。たまにしか来ないので、息子はずっと偽物だと思っていたみたいだが、それは息子のイギリスブームによるもので、イギリスブームとは映画のゼロゼロセブンをちら見して以降、スパイがこの世にいっぱいいて、息子の能力(なにもない)を狙っていると思い込みつつ何もかも疑うというブームであるのだが、それも気がつけば終わっており、この間、おでこがうちに来た時には、普通に接していた。そして、新鮮なささみを持ってきてくれた。もっと頻繁にうちにくればいいのにと思うが、ヒトにはヒトの事情があるのだろう。あまり気にしない。

そんなわけで、ひとりぼっちになったくねくねとあたしと息子は暮らしている。

くねくねは、情緒の不安定な男であったのだが、最近はずいぶんと落ち着いている。あたしたちが彼の一挙手一投足にドキドキしたり、心配したりすることはここしばらくない。くねくねがひとりであることをあたしたちはときどき嬉しく思うのは、時間の多くをあたしたちに費やしてくれるからである。あたしたちは、困ったら助けてくれる、お腹が空いたらご飯をくれる、そして触ると温かい存在としてくねくねをみている。くねくねと寝るとほっとするし、くねくねに撫でられたり、遊んでもらえると嬉しい。

本を読むと、あたしたちは飼い主を母猫みたいに思っているのだとか。しかし正直あたしは母を覚えていないし、息子にとっては母猫はあたしで健在であり、そばにいる。なので、母猫みたいにはくねくねを思えないである。くねくねはくねくねである。

くねくねがあたしたちに時間を使おうとする時、彼の声音や匂いは優しいものになる。あたしたちは日光を栄養として必要としているらしいが、くねくねの時間も同じように必要である。くねくねがいないなら、いらないかもしれないが、いるなら必要なのである。

なぜだろう。あたしたちは頑張って考えてみても難しいことはわからない。ただ食べることや寝ること、日向、静かなこと、赤い紐、みんな好きである。そしてくねくねのことも好きである。くねくねのことを好きなヒトも好きだし、くねくねが好きなヒトも好きである。この好きだと思えるものに触れるということや行えることは、生きている意味のように思う。生きている意味なんて考えないのだけれど。

ただそういうときに身体の内側がぽかぽかする。それは良いことだと思う。そういう意味では、あたしは個人的に楽しそうにしている飼い主きどりが側にいてくれるととても嬉しいと思っている。



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