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新浦安出身、名はポン・プルクワ。猫である。


昨晩ヒトの来客があったのだけれど、あたしへのお土産がいっぱいあった。世界はまだ終わっておらず、終わりの始まりでもなく、多くの花がこれから先咲き乱れるための蕾をふくらませていて、今降っている雨もやがてやみ、鳥達が港についた船乗りみたいに陽気に歌いあい、夜の窓から目に入るすべての灯火のもとでは笑顔がきっと溢れていることだろう。なんて陽気に思えるほどに嬉しかった。美味かった。あたしに向けられた思いやりに感謝。しかし今日の朝ごはんは少なかった。


ヒトの来客に関してはくねくねとくねくねに関わるヒトが困ることもあるからと差し控えるようなお達しが(なかったっけ?いやどこかで)あった。それはそうだろう。くねくね自信も知って困ることだってあるかもしれない。なにせあたしらの嗅覚はヒトよりずっと鋭いはずである。それほど深くヒトとヒトの関わりに興味を持っているわけでもないから、正直そこまで穿った看破をすることなどないのだけれど。

ただ漠然とした来客の様子について、猫からみて思うところを交えて語っても、さほどたしなめられはしないだろう。以前のうちでは、テロやデモみたいに大勢のヒトが訪れてきたものだった。喧々諤々というのかしら、あちらではあちらで笑いがおき、こちらではこちらで語りあい、何人かはベランダにでて口から煙をだして、なんてオムニバスみたいな様相を何度もベッドの仕方からため息混じりで観たことがあった。朝までベッドの下から出られなかったから、大戦を扱った映画や映像を見ると、そのときのことを思い出すほどである。

一方、今のうちになってからは来客はほぼ一人か二人である。こちらとしては挨拶に出て行っても良い程度なので、実際に挨拶にをしにちょっと近くによったり、カバンに匂いをつけておいたり等をする。リラックスして対峙できるので、助かっている。戦争は終わったようである。

どの客もあたしや息子を可愛いと声を上げることはあっても、追ってくることもなく、じっと近くにあたしらが寄るの待ってくれる。大変ありがたい。追われるのは、とても苦手である。ルパン三世の気が知れない。ヒトをのんびりと観察することができるようになって面白く思うのだが、ヒトはヒトといる間に匂いが変わるのである。疲れたら疲れた匂いを出すし、嬉しいと嬉しい匂いを出す。そのほかにも良くわからない匂いがあるが、よく変化するのである。あたしらからしてみると匂いの変化なのだが、ヒトはそれを「空気」と呼んでいる様子である。にぶいのだか鋭いのだか。眠い匂いが出てはじめたり、何かどこかへ行かなくてはという思いが強くなって焦る気持ちが出てきた時にもそんな匂いをかすかに出すから、「ああ、そろそろ帰るねやろな」という思うし、その予感は概ね当たる。

同様に声の調子も感情や思うことによって変わっているように見受ける。おもしろいのは、それほどの変化を自ら発しているのに、ヒトはそういうことにだいぶ無自覚でありそうなところだ。言葉や表情に頼りすぎているからだろうか。たまには言葉を遣うのをやめて、鼻と耳を使って他者とコミュニケーションをとってみたらどうだろう。そうすれば、あの鈍感くねくねもあたしらの気持ちにもう少し敏感になれるようになるかもしれないし。



[ 2014.06.06 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]