ひとのて
2014.09.01
_MG_1289.jpg


母猫のポン・プルクワです。
息子のカントとヒトの「くねくね」と三にんで暮らしています。

昨日は具合がわるくなってしんどかった。

ヒトをみていてあたしたち猫と大きく異ると思うところがある。多々あるものの具合が悪くなって思うのは、ヒトは具合が悪くなると「具合が悪い」といって、病院に行ったり、誰かに頼ったりするところだ。あたしたちにはぜんぜんピンとこない行為である。ちなみに冒頭であたしも「具合が悪い」と言ったのは、猫としてはとても違和感のある発言だった。ヒトなら言うのであろうと思ってあえて書いた。でも、本当は具合が悪いということは隠すのが自然な行為である。

ヒトというのは、あたしたちからみてもとても暇と余裕のある生き物である。悩んだり、落ち込んだり出来る点でとても余裕があるようにみえる。具合が悪くなっても、治せるという選択肢がある。例えば、草食動物だと骨折イコール死である。もう食べられて終わりである。あたしたち肉食だって、弱ったらほぼ人生(猫生)終わりである。もうーだれか助けてにゃん、なんて思えない。やべー死ぬ、って思う。動けなくなるほど弱るとあたしたちは食べられたり、蹴落とされたりするワールドにいる。死が近づくと猫はどこかに消えて帰ってこないと言われているのを何かで読んだが、まあそうだろう。誰にも攻撃されることなく、生命の火が燃え尽きるなかに身をおきたいものである。

そもそも死というものが意識にはヒトほどない。どう生きながらえるか、ということにばかり意識がむく。それでも、ああもう目の前にってときはきっとわかるというか見つめざるをえない。そんなときにどう感じるのかはまだわからない。でも、少なくともあたしは具合の悪い時には隠れて、暗いところで自分の体温を感じながら、体内になる生命の灯火をじっと見つめて過ごす。風が吹いて消えたり弱ったりしないように、そっとじっと見守る。

でもヒトと暮らしているとそんなあたしの背中にそっとヒトの手が差し伸べられる。あたしの体のなかにある火を鼓舞するように優しくなでられる。それは、猫としては、不慣れな新しい体験である。そんなとき、あたしは猫が生き物として獲得してきた本能が書き換えられていく気配を感じる。それがどこに向かうのかわからないままに、小さな個人的な進化の蠢きを、ヒトの手の温度に感じるのだ。

ヒトと暮らしてきて良かった、とそういうとき猫のあたしは思っている。



[ 2014.09.01 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]