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母猫のポン・プルクワです。
息子のカントとヒトの「くねくね」と「ちょろ」、それからわんこ2つと暮らしています。

ヒトの不在の間、わんこたちと息子とあたしの元気は減ってきている。息子はとうとうご飯を食べなくなった。身体がどうに食べ物をつけつけなったようすである。あたしも食欲はあるが、元気がないので毛がぱさついている。

あたしたちは、ヒトの庇護のもと、勝手に生きている、わけではない。思うに、あたしたちが自分のちからで生きるときは、自律とともに甘えたいという動機を捨てる。生き、産み、育て、おそらく早々に死ぬ、そういうスタイルになる。ヒトと暮らすとき、あたしたち猫も犬も、庇護のもとにいる自分を自覚し、甘える動機を抱く。たぶん、ヒトは「甘えられる」ことから何をあたしたちから得ているのではないだろうか。存在意義や父性や母性を。そのあたりは定かではないが、きっと何かあるのだろう。要はである、甘える動機を持ったあたしたちには、愛と接触と関心をビタミンとして要する身体になる。ごはんを不自由なく食べられ、快適な住処があり、それで足ることはないのである。そこが自律した、ヒトの庇護から独立した生き方をした猫やわんこと異なるところである。

 あたしたちには、ヒトからの関心と愛情を栄養として要する。そしてそれが不足すると具合が悪くなる。生命が弱まるのである。植物にとっての陽の光や水や土のどれかに該当するのである。ヒトの手、目、声、匂い、気配、気持ちをあたしたちは必要としている。もしかしたら、これはあたしたち犬猫だけの問題ではないかもしれない。ヒトはヒトと関わり、常誰かからの救済を求める生き物である。彼らもまた、他者の温度や気持ちを要するのではないだろうか。

うちへ帰ってきたくねくねは、まずすぐにわんことあたしたちのトイレを掃除して、ごはんの用意をする。あたしたちは(息子を除いて)みんなで食べた。その間、くねくねはせわしなく動く。食後、あたしたち一頭一頭の頭や背中を撫でて回る。彼は思うに、息子の具合をみて、それもごはんと同じくらいに大切な栄養であることに気がついたようである。

あたしたちは、彼から与えられる時間の少なさに不服を申し立てるものの、かろうじて生き長らえる程度には、養分をいただくことができた。ぜんぜん足りないけれど。


ヒトと暮らす猫とわんこは、そういう生き物なのである。そしてヒトもきっとそうである。そうかそうか、見えないものが大事というのはこういうことか。生命というのは温度と時間を含んだ関心なのである。撫でられて花開くのである。

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[ 2015.03.27 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]