きみのなは
2017.12.31
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猫のポン・プルクワだす。

わんこと暮らし始めてはや5年とか3年とかそれくらい経つ。
舐め合うほどの仲にはなれずとも、さすがになれた。
あたしの毛にもいくぶんわんこの匂いが移っている。同じブラシで梳かされたり、同じベッドで寝たりするからだろう。加えて、ときどきくぶん転換にわんこハウスで昼寝をしたりもする。慣れるとさほどきにならなくなるものである。うちの中に匂いとして一体感が生まれるのだろう。もぐもぐタイムも一緒なので親近感のようなものも湧いてきたのも事実である。人の留守中など、ときどきあたしひとりで留守のときもあるのだけれど、わんこがいるほうが寂しくない。ただ彼らはうんこをおきっぱにするので、わんこがうんこするとそこはかとないうんこスメルが居間に広がる。砂をかけたらいいのだが、わんこにはその知恵がない。野蛮なのである。都会的じゃない。そういうものとして受け入れるほかあるまい。

ただどうにも未だに我慢ならないことがある。わんこにある問題ではない。人のほうも問題である。わんこと暮らすまで、あたしは息子のカントという猫と二人で人と暮らしており、人の猫に対する注意や愛情や関心を一身に……、むすこと二人だから二身か、いずれにしろそのすべてを猫族が浴びることができた。それがわんこと同居するようになってからというもの、わんこへの関心のほうがいくぶん高いように感じるのである。これが我慢ならない。

たしかに彼らは声が大きく、吠える。元気だし、愛想も良い。しかし長年連れ添っておいて、わんこにうつつを抜かすというのは、そうそう許されるものではない。貞操観念がなっていない。猫法では、かなりの重罪である。きっと。猫法って知らないけれど、あったらきっと。しかし、単なる気のせいかもしれない。あたしのやっかみがフェアな飼い主の態度を疑いの観ているだけにすぎないのかもしれないと自戒して、冷静に人の愛情について考えてみることにした。事実にもとづいて判断しなければなるまい。そう思ってあたしは統計することにした。彼らがあたしやわんこたちの名前をどれくらいの回数呼ぶのかを数えてみたのである。名を呼ぶ回数それすなわち愛情である。結果はこうである。

もも(わんこ):17回
ぞぞ(わんこ):39回
ポン・プルクワ(猫さま):22回






有罪確定である。

とりあえず処罰として食卓にうんこつけてやった。野蛮なのは認めるがこれくらい許されないことなのである。
あとから来たわんこにうつつを抜かす。炎上ものである。まだ腹が立つ。 


 



あたしのエッセイ集がしっぱんされてます。読んでくれたらごろごろいうほど嬉しいます。




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[ 2017.12.31 | 猫日記 | コメント: 1 | PageTop↑ ]