えんヴぃー
2014.05.22
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猫である。

猫がヒトを羨むなんてことがあっては、猫全般に対してのイメージを損ないかねないかもしれない。が、猫がヒトを羨むことも少しはある。それはヒトに話しかけても、なかなか意図が通じないことに関わるのだが、ときどき言葉が遣えたら良いに思うことだ。もちろん、言葉を遣えない関係であることが猫とヒトの関係の大前提にあることは承知している。それがゆえに猫とヒトの間で、愛情や思いやりが関係のなかで前面に出てくるわけだから。でも、ちょっとこういろいろと落ち着かない、自分でも理由は良く分からない。だから側にいて遊んだり、撫でたり(腹はやめて欲しい)して、あたしの存在をユーの手や気持ちで形あるものとして感じさせてくれ、と思うときに、あたしは必死でそれを訴える。が、たいがい「ごはんにはぜんぜんまだ早いでしょ」とか「さっき食べたでしょ」とかすべてごはんの話として捉えられる。または「どうした?」とだけ放置の質問を放たれる。そんなときは残念に思うし、嗚呼、言葉で伝えられたら良いのに、と言葉を遣えるヒトを恨めしく思うのだ。

テレビでときどきみる岩合光昭という方なら、あるいは理解してくれるかもしれない。彼は猫とのコミュニケーションがとても上手だし、博識だし、愛情も強い。しかし、同居ヒトを岩合光昭先生にチェンジできるでもなしに、今そこに居るヒトと上手いことやるほかない。

上手く思いが伝わらないなーと思うとき、あたしはヒトの前でこてっと床に倒れて寝そべってみるのだが、するとヒトは、こう言うのだ。

「ん? 暑いの?」と。

寝違えればいいのに。



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