ころす
2014.06.13
_MG_9753.jpg


見ての通り猫。

昨日から草がある。息子は草好きだから食べては吐いて食べては吐いてを繰り返している。あたしはそれほど草を好まないので嗜み程度に食べてちょっと吐いた。上品。

草がこうしてときどき出現するのだったら、同じようにささみとかかつおぶしとか出現しないだろうか。可能性としてはありうる。ただささみやかつおぶしは動かない。ある程度は追って捕まえたい。待ち伏せして捕まえてみたい。何が理想だろうか。ゴキブリは早過ぎるし、あたしたちはちょっと昆虫が苦手だ。ねずみは怖い。ハムスターあたりが理想ではないだろうか。ハムスターがうちにいたらいいなぁ。おもしろそう。おいしいだろうか。生で肉食べることをそれほど経験していない。骨とかちょっと嫌だなぁ。毛も。

そんなわけでもしもハムスターがうちに出現したらどう対処すべきだろうか、と考えてインターネットでハムスターと猫で動画を検索してみた。捉え方&食べ方のハウツーとして参考として。それがどうだろう。見てみるとどれもこれも猫とハムスターが仲良くしている牧歌的なものばかりだった。まったく参考にならなかった。

もしかしたらヒトの倫理的によろしくないのだろうか。

それにしても不思議だ。ヒトはだいぶ肉を食べる。魚も鳥も牛もばりばり食べる。幸運なことに猫はそれほど食べない。助かる。スーパーに「猫の肩ブロック」と売っていたら、ヒトを今ひとつ信用出来ないでいたかもしれない。「かわいいい!」といって寄ってくるヒトが後ろ手にカマや包丁を持っているかもという恐怖や不安がつきまとっていたかもしれない。そうそう、ヒトは肉をだいぶ食べるのに、「殺す」という行為にものすごく抵抗を感じている。「殺す」ことは悪いことの様子である。しかし殺して殺して殺しまくった結果できた肉を「おいしい!」と言って食べる。不思議だ。思うに、自分で殺すのは良くない、他所のヒトが殺したものは良い、のだろう。そういう構造なのだろうか。いかにじぶんで殺さないで、または殺しものだと感じないで、口にするか、ということにやけに苦心している。そして猫なのに笑いそうになるのだが、ときどきテレビでは牛の肉を食べるコマーシャルかなにかで「おいしいモウ!」と牛が喋ることがある。あたしらが「切り刻んでにゃん♥」と言っているようなものでしょう。

ヒトの想像力や創造する力はものすごく巨大だと思う。空も飛べるし、宇宙にも行ける。単純にここから埼玉県にいけることだけでもあたしからするとものすごい偉業に思うほどである。にも関わらず、ときどきものすごく想像力を抑制している部分もある。宗教というものなんて穿った目でみるとバカバカしいにほどがあることが多い。

あたしは、経験がそれほどないが感覚としてはまだ肉食であるスタイルを忘れてはおらず、だから殺すことを良しとしない感覚がそれほどわからない。あたしたち猫がヒトから食べ物をもらうという環境がないとき、ヒトがこの世にいないとして、殺さずに生きる方法などまったくなく思いもつかず、死滅していくことだろう。


でもあたしらの考えは、殺すのは良いけど、殺されるのはダメ、というものである。ヒトからすればむしが良すぎるのだろうか。むしが良すぎようと、猫にはちょうど良い考えなんだけれどもな。





[ 2014.06.13 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

秘密