うちのなか
2014.06.23
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猫である。

毛が抜けまくる時期もおおむね過ぎ去ったように思う。お腹がむかむかする草ももうあまり食べなくてもすみそうである。それにブラシも頻繁にかけてもらっている。暑い日々にも少しずつ慣れてきた。

季節が変わろうとしているのだろう。温度だけでなく、外から聞こえてくる音も少しずつ変わってきた。刺さるような音ではなく、丸くこもった音になってきた。朝の鳥たちは相変わらず、結論のでない会議をしているみたいに大騒ぎをしている。鳥たちは季節が変わりつつあることなど気がついていないかもしれない。忙しいのかもしれない。

窓の外を歩くヒトたちの格好も変わってきた。白い色が多く、肌がみえる割合が多い。ヒトは頭にしか毛が無いから、服で季節に対して調節をしているのだろう。毛を吐かなくて良いのがうらやましいが、着替えるのも、服を持つのも大変そうだ。それに服にもいろいろとあるらしい。そういえば靴もいろいろとあるし、カバンもある。あたしはヒトの客人の靴やカバンの匂いがとても気になる。うちのなかに知らない匂いがあるのは居心地が悪いのだ。ヒトそのものは致し方がないが、置かれるものはすべてあたしのうちのものと思う。すると知らない匂いのものが気になる。なので、あたしの匂いをつけて居心地を良くしたいと思うわけである。すると客人たちは「かばんが好きなのね」と言って微笑む。あたしが気にしているのは、匂いであってカバンそのものではないのだけれど、まあカバンが好きな猫と思われても特に困らないので、そのまま勘違いをされていてもいいやと思って、ほうっておく。

しかし服のことはある程度ありがたく思っている。ヒトは裸だと爪をかけにくい。膝に登るにも気を使うし、顎を載せていてもなんだか居心地が悪い。服に関しては着ていて欲しい。でも香水やシャンプーや歯磨きの匂いはなかなか苦手である。くねくねからする匂いに関してはおおむね慣れたけれども。

そういえばかつてはヒトのシャンプーで身体を洗われたことがあった。あれは最悪である。すごい匂いが自分の身体からするものだから、全部消すのに身体を舐めまくらなくてはならず、舌のザラザラがつるつるになるんじゃないかと思ったほどだ。最近はすっかり身体を洗われることがなくなって助かっている。

そんなわけでである。あたしたちと一緒に暮らすヒトは、じきにあたしたち側のヒトとなるが、時々くるヒトはどうしても客人のままである。匂いが日常になるヒトをあたしたちはだいたい受け入れることになる。ヒトを差別区別しているわけではなく、単に落ち着かないのだ。くねくねの客人は皆優しい。ときどきお土産を持ってきてくれる。ササミやら缶詰やらレトロトなど。

そういえば、おでこがときどき今でも来るが、あのヒトはいぜん一緒に暮らしていたので、今になってときどききてもその匂いに落ち着かない気持ちにさせられることはない。ヒトにもそういうのはあるのだろうか。くねくねをみている分にはよくわからない。



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