がちゃり
2014.09.22
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母猫のポン・プルクワです。
息子のカントとヒトの「くねくね」と三にんで暮らしています。


ときどき、あたしたちの同居ヒト、くねくねがなかなか帰ってこない日がある。暗くなっても、時には朝ごはんの時間(午前五時)になっても帰ってこない日もある。空腹は困るが、くねくねがいない間、あたしはいつもとは少し違う世界にいることになる。

くねくねがいる間、あたしはくねくねの庇護の下にいるつもりになる。ご飯をくれる、撫でてくれる、かまってくれる、守ってくれる、そういう存在が側にいる世界にいる。だからくねくねが側にいるのに、かまってくれないと、寂しくなったり不安を感じたりする。それで、あたしはたまに鳴いては、かまってよ、とか、撫でてよ、と訴える。そして撫でてくれたり、かまってもらったりしてはホッとしたり、喜んだりするのである。

では、くねくねがいないときは、というとあたしは甘えたい対象がいなくなるので、大人になる。とは言っても、あっちで寝て、ときどき散歩して、またこんどは違う場所でねて、お腹空いたなーと思ったら、体力を温存するためにまた眠る。外から聞こえるさまざまな音にびびっと警戒しては、問題がないとわかるとまた眠る。空の色で一日の今どのあたりなのかを知る。マッコボッコエアがなくなっていることもあるから、ブロゴもかけないし、本もその辺に転がっていないから読めないしで、ヒトっぽい娯楽にも興じることはない。

とはいえ、たまに長すぎる不在にあたしはほぼ毎日一緒にいるくねくねを思い出したりはする。そして寂しく思って鳴いてみたりするのだが、くねくねがドアを開けて現れることもないので、また大人の世界に戻る。


あたしの世界は、こんな風にして、ときどき変わる。息子はあたしに甘えるので、息子の世界はくねくねの不在によって変化することはあまりない。あたしの世界だけが、ヒトの不在でちらりと変わる。くねくねがいないとき、あたしの身体はくねくねと結びついていて、彼から離れすぎていると、具合が悪くなる。くねくねがいなくなると、あたしはひとりの生き物に変わって、あたしの輪郭は、あたしひとりで結ばれる。

この輪郭が開いたり、閉じたりするきっかけは重くて冷たいドアの音である。

そんなわけで、あたしはガチャリという音が嫌いであり、好きである。

その音一つで、あたしの世界がちらりと変わる。





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母猫のポン・プルクワです。
あたしのツイッター: @ponyan01

あたしと息子のグッズを販売しています。
Ponne et Kant Pourquoi
売上はあたしたちの生活費になる(はず)です。
これで好きなだけ、好きなモノを食べ、新しいおもちゃを不自由なく買うつもりです。
みてみてくだにゃい(こび)。

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[ 2014.09.22 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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