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さけ
2014.09.24
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母猫のポン・プルクワです。
息子のカントとヒトの「くねくね」と三にんで暮らしています。

居間に『酒の博物誌」という本が置いてあったので、少し読んでみた。
というのも、くねくねをはじめ、うちでヒトが酒を飲み、様子がおかしくなっていくさまを何度となくみてきたので、酒とはどういうものか、ヒトはなぜ正体をなくしぎみになるあの飲み物を好んで飲むのか、興味深く思っていたからである。

酒の最初は、ビールやワインだったそうである。その差もよくわからぬが、兎に角旧石器時代にはなく、新石器時代から作られ始めたらしいということである。器がないことには、酒を作ることがままならなかったからだそうだが、興味深いのは、それに加えて、旧石器時代のヒトは酒を要していなかったからでもあるという推察であった。旧石器時代のヒトは、言葉を持たなかったのだそうだ。酒をヒトが要するのは、心の乾きを癒すためなのだそうだ。心の乾きは、言葉が作り出したのだそうだ。言葉ができて、ヒトは心の乾きを感じるようになり、そして酒を必要とするようになった、ということである。

言葉が、ヒトの心に乾きを感じさせるようになった、というのはとても興味深い。

あたしももともとは言葉を持たないでいた。しばしして、こうしてヒトの言葉でものを書くようになったわけであり、であるなら、あたしも言葉を遣ってものを考えるようになってから、心の乾きを感じるようになったのだろうか? 先の書籍から得た知識によって、あたしはこのような自問をすることができるようなった。

自問したところで、ヒトの言葉を理解し、使うようになる過程を克明に覚えているわけではないので、しょうじきなところ検証はむつかしい。ただ、ヒトと暮らすようになってからの心の変化が、言葉で思考することでしっくりくるようなったことは確実である。それまでのあたしは、言葉にすることなく、胸中で「ざわざわ」とか「ほかほか」という雰囲気だけを感じていた。言葉を知って、あたしは寂しいとか嬉しいを知った。それは猫同士では必要のなかった概念だが、ヒトと接してみて、感情というものをいちいち目を凝らして見つけ、それが何であるかを理解する必要を感じるようなった。いや、必要というよりは、しっくりくるようになった。

不思議なものである。ヒトの帰宅に、あたしは喜び、朝ごはんが出てくることが遅い時に、腹立たしく思うようになった。そしてそれを態度にしめして、ヒトに伝えるときに、なんとなくヒトの感情をなぞって、言葉にしないまでも、ヒトの言葉の様式に沿うようにしている気がする。

言葉、誰かに気持ちを伝えて、誰かからきもちを伝えてもらう、ということを始めて、それが上手く機能しないときに、心の乾きというものが生まれ始めるのだろう。言葉というものは、ごつごつした記号である。しかし感情というものはぐにゃぐにゃしたもので、それをごつごつしたもので表現しようとするとき、どうしても隙間が生じてしまう。これが、心の乾きの元なのだろう。

それを液体をつかってヒトは埋めるのだろう。

あたしたちはどうだろう? 思考にヒトの言葉を用いたとしても、あたしたちは言葉を話せない。ゴツゴツしたものですら、遣って気持ちを伝えることができない。だから隙間は生まれない。悲しいとか寂しいはある。でも、それはぐるりと丸くなって、好きなヒトや息子にくっつくと隙間などなくなって、ほっとすることができる。

だからヒトも言葉を遣わなくなれば、酒も飲まなくなるかもしれないが、ぐるりと丸くなる必要はあるかもしれない。

ヒトは、心の乾きをわざわざつかって、酒を発明して、それを埋めている。穴をほってからまた埋める、そんな按配にみえるのだが、きっとそれは無駄なことではないのだろう。どう無駄でないかというと、酒を飲むくねくねも他のヒトもとても楽しそうだからである。




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母猫のポン・プルクワです。
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Ponne et Kant Pourquoi
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[ 2014.09.24 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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