FC2ブログ
_MG_4800-2.jpg


母猫のポン・プルクワです。
息子のカントとヒトの「くねくね」と三にんで暮らしています。

「時間」というのはおもろいもので、猫としてはそんなもの観たことも聞いたこともないものだった。あたしたちは、基本「今」のみである。おなかへったなう、甘えたいなう、うんこなう、夜やなーなう、さもいなう、ぶしの匂いがするでなう、となうなうづくしである。なうの前菜に、なうのスープ、グリルしたなうにきせつのなうのソース添え、なうを軽く煮込んだなうぞえのパスタ、なうのコンポート、なうぷれっそ、というフルコースのライフである。

去年も一昨年も、思えばもう十年以上生きているのかぁという感慨もほんとうはない。去年の今頃どんな感じ?と思うこともない。だから「ちょっとまって」って気持ちもよくわからないし、言ってしまえばわんこたちがむばってやっている「待て」もわからない。なぜ待てる? ごはんが目の前、食べるの今でしょ?と思うことしかない。わんこは利口なのか馬鹿なのか。直感では馬鹿やなぁと思うも、人と上手く付き合って楽しそうにしているから、賢いのかもしれない。むこうさんのほうがうわてな気がなんとなくする。

そんなあたしでも漠然と時間を感じるのは、ぼんやり累積している幸福感であろう。くねくねがいつも側にいて、息子がいつもくっついてきて、温かくて、呼べば飛んできて、顎や背中を撫でてくれる毎日は、あたしのなかに形定かではない「不安ではない気持ち」のなかにいるという感覚がある。これは時間を重ねないと生まれない状態であろう。

またべつにあたしはこうして努力のようなものをして、ヒトの言葉で物を書き、それを貯めてきた経緯もあるから、時間というものは少しずつ覚えてきてはいる。写真も選びながら、「あ、こんなうちにも住んでいたのね」と驚くと同時に少しは思い出したりもする。猫としては例外的なことであろう。

写真は去年の今頃である。

一年。過ぎた日を単位で考えると、なうしかないあたしでも死がぼんやり見えてくる。この一年を数個重ねたものが、アウトドア派の猫の寿命になる。新聞で読んだが、四年から六年なのだそうだ。あたしがくねくねと住み始めてから十三の一年が過ぎ去っているそうだ。アウトドア派の平均寿命はとうに超えている。インドア派は、十五年くらいだそうだから、あたしもそろそろ死ぬのかもしれない。しかしあと数年ということだって、上手いこと想像できないから、すぐ側にそれが来ないことにはあたしにとって死は、ららぽーとくらい無関係な存在に思える。あたしがこれから一生どこかでららぽーとに行くことはないから、ららぽーとよりは死のほうが身近であるかもしれない。

しかしまあ一年か。

「なう」何個ぶんだろう?

計り知れない。



↓これをぽちりすると白黒猫ランキングで1位に近づくそうです。押してほしい。

白黒猫 ブログランキングへ

-------------------------------------------------
母猫のポン・プルクワです。
あたしのツイッター: @ponyan01
あたしのフェイシャルブック: https://www.facebook.com/ponne.pourquoi

あたしと息子のグッズを販売しています。
Ponne et Kant Pourquoi
http://ponnestore.com/
-------------------------------------------------

[ 2014.10.10 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

秘密