ねこ
2014.10.15
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母猫のポン・プルクワです。
息子のカントとヒトの「くねくね」と三にんで暮らしています。


「まこ」という有名な猫が死んでしまったらしい。

あたしがひそかにライボル視していた、個性的な猫である。雑誌の表紙になっているのも目にした。うちには、「まこ」のシールまで貼られていたこともあった。あたしという猫がいながら、よその猫のシールを貼るなんて、なんて思わなかったが、覚えはした。


あたしは、まだ死をよくしらない。産んだ子猫が死んでしまったことはあったが、あたしはその子猫の死をみていない。病院で息を引き取ったことをしばらくして知った。「消えた」というのが、あたしの感覚であった。残った子猫たちを育てることに夢中で、そればかりを思う余裕もなかった。

おでこや、たばこをすう小さいヒト、ひょろ長いヒト、いろんなヒトがあたしのそばにいたが、かれらはいつのまにいなくなっていて、それを消えたと感じていた。

近所の猫が死んでしまったことがあった。それが、死というものにぼんやりと触れた最初だった。とは言え、あたしには今ひとつ、「死」と「消えた」の違いがわかっていない。理屈では、「また会える可能性がある」ことを「消えた」と言い、「もう二度と会えない」の「死」なのだろう。しかし、あたしたち猫に「いつか」という未来の意識はあまりない。ほとんど「今」しかない生き物である。「ちょっと待って」もよくわからないし、「またね」もよくわからない。

「まこ」という猫もきっとそうであろう。ヒトの書くブロゴをみるかぎり、あたしみたいにとても大事にされて生きてきたように見える。であれば、いっぱいの嬉しい「今」を重ねて生きてきたはずである。であれば、「幸福」というラベルを貼って良いはずだ。あたしたち猫は、ストックなく「今」を重ねて生きている。貯めた「今」を振り返るのは難しい。ただぼんやりと遺伝子みたいに「幸福」が溜まっていくのは感じる。

愛されて死んだ猫の身体には、幸せがいっぱい詰まっているはずである。どんなに血を流そうと、身体に穴が空いていようと、その幸せは漏れることなく、もっこりとそこに詰まっている。あたしたちの身体はそういう風にできている。幸せが毛をそよめかせ、幸せが体温を作る。

猫とはそういう生き物である。



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[ 2014.10.15 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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