よはく
2014.12.02
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母猫のポン・プルクワです。
息子のカントとヒトの「くねくね」と三にんで暮らしています。


なにやら昨日は拙宅はにぎやかで、ヒトについて考える機会があった。

くねくね自身もそうだし、くねくねと一緒に暮らしていたヒトビト、くねくねに会いに、またはあたしたちに会いに来たヒトビトをみてきて、思うのだが、ヒトというのは、ずいぶんと揺らぐ生き物なのだな、と猫から観て思った。泣いたり、不安になったり、笑ったり、のたうちまわったり、喧嘩したり、夜明け前にひっそりと泣いたり、出て行ったり、来たり。何度も書くが、ヒトには生きていくにあたって、余白のようなものがものすごくいっぱいあるのだろう。あたしたち猫が、生きるということだけ考えてまっすぐ余白なく(猫はのんびりとしていてマイペースである、という印象をヒトが持っているようであるが、どうだろう。あたしたちは生きることしか考えていない。)、日々を送っているのだが、ヒトは、余白の部分で生きること以外のことに忙しそうである。

その余白で、多くの良からぬとヒト自身が考えていることもしているが、一方で自分には関係のないものを助けたり、創造したりしている。そこに正直驚く。なぜ、そんな余計なことをするのだろうか?と。しかし、その余計なことのなかにあたしたちも含まれている。ヒトがわざわざ路上にいた、またはゴミ箱に捨てられていた猫を拾い、自宅に連れ帰って、あたしたちの一生を背負う。あたしが鳴けば、寂しがれば、お腹がすけば、具合が悪くなれば、そばによってきて、なんとかしようとする。そんな生き物だから、あたしたちは、警戒をといて、そうかまあ一緒に生きるか、と安心するようになる。

あたしは今日眠れないでいるくねくねを舐めてやった。毛のないヒトを舐めるのは勝手が違って、うまいこといかないのだが、まあそれでも舐めてやった。するとくねくねの内側が何か変わっていくのを感じた。あたしが息子を舐めてやっているときに、息子の内側から発せられるものに少し似た変化だった。

不思議なものである。あたしがそうしたのは、あたしのなかにある小さな余白でそうしてやろうという気が湧いたからだ。余白というのは、自分の生命以外に関わろうとする意志なのだろう。あたしは、猫なのに、余白だらけのヒトという生き物の気持ちを考えることができるのである。そんな自分にも驚くのだ。

一緒に生きるというのは、良いものだな、とまあなんとなくなのではあるが、思ったのだ。




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[ 2014.12.02 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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