がてん
2015.01.06
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母猫のポン・プルクワです。
息子のカントとヒトの「くねくね」と(今のことろ)三にんで暮らしています。

猫は感慨になどふけらないものであるが、ずいぶんと生きてきたものだ、と思う。犬まで間近でみることになるとは思わなかったし、くねくねの生活がどんどん変わっていくところ、これほど長く眺めることになるとも思わなかった。

最近「ねこの秘密」という本をときどき読んでいるのだが、これがなかなか面白い。他の動物は、ヒトが積極的に関わってヒトに便利な生き物へと変えていったのだとか。例えば狼から犬へと。しかし猫は、互いに歩み寄って今に至っているのだとか。ネズミがいっぱいいるヒトの集落へあたしたちの祖先が近づいていき、ヒトはネズミをとってくれるなら、助かるわい、ということで猫を愛で、また猫も食べ物にこまらんばい、ということで共存していったのだとか。ヒトの酔狂な愛護欲から猫を飼うなんてことをするようになったわけではないようである。もともとは、ちゃんとした理由があったわけである。

 今もそうなのだろう、きっと。くねくねにとってあたしはどういうわけか必要そうだし、あたしにとってもくねくねは大事な存在である。ネズミを介さないでも、そういう関係は築けるわけである。では何を介しているのだろうか。あたしが、直感的にこれであろうと思うのは、体温と注意である。あたしが、くねくねの存在を感じるのは、彼があたしを撫でている時と、あたしに意識を注いでいるときである。あたしをみて、あたしを触って。そういう気持ちがあたしの中に湧く。

 ヒトは鏡を使って自分を観ることができるが、あたしたちは鏡を使うことはない。あたしは、こうしてブロゴに写真を使うので、自分の姿を知っているものの、本来は知らないのである。不確かなあたしという存在に、実体を感じられるのは、触れている時、触れられている時、あたしが観られている時、またあたしを欲してくれているときである。子育て中は、まさにそれを実感し続ける日々であった。子育ても終わって久しい今、あたしがあたしであることを感じるのは、他者の愛を経由するときである。ネズミではない。

 先日、会った犬は、あたしに仲良くしたいという気配を伝えてきた。不思議なものである。なぜその必要があるのか? そのときはそう思った。が、こうしてあらためて考えてみると、関わることで自分の形がはっきりしてくるのである。犬、ヒト、息子(猫)。触れ合うというのは、そういうことなのか、となんとなく合点がいったのである。





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[ 2015.01.06 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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