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母猫のポン・プルクワです。
息子のカントとヒトの「くねくね」と「ちょろ」、それからわんこ(「もも」と「ぞぞ」の)2つと暮らしている。

 昨日、息子がここで書いていたとおり、息子の具合が悪い。渋谷地獄ではない地獄につれていかれた様子である。新人のヒト「ちょろ」とくねくねの話によるとだいぶ深刻な話しらしい。あとどれくらい生きられるのか?という言葉まででてきていた。
地獄疲れしている様子だったので、いろいろと舐めてやった。身体のどこかがいたいのかへんな姿勢で固まっていた。くねくねが近づいてきてあたしと息子を抱いた。すると今度は新人のヒト「ちょろ」が近づいてきて、くねくねにくっついて横になった。みんなが集まっているからか、犬たちは「何?何?何?ゲーム?集い?」というかのようにしてベッドにのってきて、例の引っ越しするムーミン一家の乗る舟のようになった。

 あたしは理解はしているものの死というものに関心はそれほどない。しかし動物は死を意識しないと言われるが、そんなことはない。漠然とした気配や予感はある。ヒトの持つ死に関しての概念とはだいぶ異なると思と思う。ヒトは未来のことも過去のこともいっぱい考えるから、まだない痛みや恐怖、もう過ぎ去ったそれらに苛まれることが多いみたい。今は安心なのに、胸がざわめくなんてかわいそうに思う。あたしたちは、すぐそこにくるまでそれらに関わらないで済む。

 飼い猫として育ってきたあたしたちだが、本来あたしたちは肉食動物である。小動物を食らって生き続ける生き物だ。つまり他の動物の死を、あたしたちの生に変えて生き延びることしかない生き物である。またそうしなければ自分が自然と死ぬことは本能として理解している。しかし死というより「食べて生きる!」と考えている。死んだらどうしよう?という不安はない。生きるぞ!ということに全力を出して生きている。

 では息子の今もそうなのか?というとどうだろう。息子は具合が悪いことだけは理解している。そして良くなるためにできるだけじっとしている。お腹が空いたらご飯を食べる。日が照ったらぼっこする。そうかやはり生きようとしている。自分の死の気配を感じていないわけでもないだろう。しかし回復することに全力を尽くしている。

 ヒトは誰か大切なものが死ぬと悲しむ。泣く。あたしたちは泣かない。悲しまない。でも寂しくはなるかもしれない。毎日しくしくと泣くヒトをあたしは見たことがある。彼女の心がざわざわしていることも感じた。あたしはそれをなだめたく思った。安心の生き物からは、温かい花のような気配が広がる。あれが好きである。悲しみや恐怖は、ぎゅっと胸を締め付けられるような気配がにじみ出てくる。

 あたしは日向のなかが好きだ。熱と光が生命に触れて慰撫するシステムが好きだ。あの気配は生き物が発する安心の気配に近い。息子が日向にいる姿をみるとあたしは少しほっとする。熱と光と安心が息子のなかで生命となって広がればいい。

死ぬまで生きる。

息子もあたしも。





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[ 2015.01.19 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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