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母猫のポン・プルクワです。
息子のカントとヒトの「くねくね」と「ちょろ」、それからわんこ2つと暮らしています。
あたしがリーダー。

くねくねというヒトと暮らし始めて、ずいぶんと経つ。比較対象があまりないから、くねくねを語ることはその点少しむずかしいかもしれない。ばかなのか、そうでもないのか、強いのか、弱いのか。ただ、彼は誰か他のヒトと暮らしていることが多いから、数少ない同居ヒトたちとは比べられる。男のヒト、女のヒト、いろいろいたはずである。あまり覚えてないけれど。おおむね、みなくねくねよりはおだやかで、静かで、安定した心持ちだった気がする。泣くのも喚くのも笑うのも怒るのも、くねくねが多かったように思う。彼は猫から見ていて、見えない何かと戦うとか抗うとか、そんなふうに生きてきたようにもみえる。そういうぐるぐるとしたものに、同居していたヒトたちは多少なりとも巻き込まれていたかもしれない。あたしたちも含めて。

 先日、もと同居ヒトの「おでこ」がうちに来た。おそらく具合の悪い息子のカントを見舞いにきたのだろう。見舞いなんて、ほんとうにヒトっぽい行動である。あたしもご相伴を預かり、おいしいものを食べさせてもらった。息子は地獄の指示らしく地獄飯だった。かわいそうに。そのおでこと一緒に住んでいるときだろうか。おでこが、何かくねくねに言ってから、くねくねはだんだん落ち着いていった。あたしたちに怒鳴ることもなくなり、イライラすることもなくなった。あたしも息子もおでこには一目おいているのは、そういう経緯があったからである。おでこの写真を毛沢東のポートレートみたいに部屋に飾っても良いと思っている。おでこさまさまの穏やかな日々である。

 おだやかになったくねくねは、心持ちが安定したかといえば、比較的落ち着いてきたが、ときおりつっぷして重たい気配を放って沈み込んでいることがある。それでも、あたしが鳴けば、よろよろと寄ってきて、首の下に二本の指をいれて撫でてくる。それほど余裕のある生き物には見えない。にも関わらず、ヒトひとりと犬二頭がうちのなかに増えている。ヒトはまだしも、犬など彼を一助になることはないだろう。なのに彼は、よろよろとしながら、全員の頭を撫でて回る。

 あたしは、愛には定量があり、場所はひとつしかないと思っていた。あたしの座るくねくねの膝に、犬が座るのを腹立たしくというよりは不安なきもちで眺めていた。あたしに注がれる愛や時間が減り、あたしの場所が無くなるかも、と。しかし、くねくねは増えた生き物分、よろよろとしながら、じりじりとした気配をすかしたおならみたいに漂わせながら、全員を撫でて回る。公平にというよりは、たぶんだの生き物にも、寂しいという思いをさせたくないと考えているのだろう。馬鹿だなと思うのは、そういう思いを自分にも向ければ、もう少し楽に生きられるだろうからである。長い指に言葉や道具を持って尚、これほどまでに無様に生きるなんて、進化とは手抜きをしているのではないだろうか。

 時間は定量だろうが、どうして自分には関係のない生き物にわざわざ関わって生きるのだろうか。寂しいのだろうか。

 あたしには良く分からない。ただ犬の匂いいっぱいであろうとも、耳の後ろや首のしたを撫でる手を有り難いと思ってはいる。よろよろしながら、寂しいからだろうとも、理由もよくわからないが、わめくことなく、あたしたちをおざなりにもせずに、よく慈しんでくれているものだと感心する。おでこの写真の横に似顔絵くらい貼ってやっても良い。ただあたしが見たくねくねの似顔絵は、小さなヒトが書いた幾何学模様のような抽象画しかない。

 猫は猫で一生懸命にただ生きているが、こんな風に終わりのないドラマみたいに同居するヒトの一生の一部を観るのも、また面白いものである。おだやかであるならば。


 それにしても、おでこ、ちょっと太った? 気のせいかしら?




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[ 2015.01.22 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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