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母猫のポン・プルクワです。
息子のカントとヒトの「くねくね」と「ちょろ」、それからわんこ2つと暮らしています。
あたしがリーダー。

うちには「ちょろ」という新人が住み始めた。「めしくれ!」と鳴くとすぐにご飯をだすちょろいヒトだったので、「ちょろ」にした。が、最近はあまりくれない。元ちょろになりつつある。犬2頭を伴ってうちに住み始めた、ずいぶんと迷惑な新人だったのだが、いいやつみたいである。小さくて、いつも笑っている。くねくねとケンカすることもない。仲良くしている。でもたまに泣く。

犬は大きめの「もも」、小さい「ぞぞ」。ももはあたしよりもちょっと大きく、ぞぞは息子カントよりちょっと小さい。いずれ部下にするつもりでいるが、今はしんどいので距離をおいている。

そんなわけで、ちょろくなくなったちょろと、ぞぞとももが加わって今ではええと6つの生命がこのうちにいる。騒がしいわけである。

 騒がしい中、くねくねの話すことを聞き、書くものを読むと、うちの息子はだいぶ死にかけているらしい。実際違わず、息子はぐったりとしている。なかなか、ゴロゴロといわなくなった。ご飯のとき以外ずっとヒトベッドの定位置でじっとしている。身体の中がけっこう痛いらしい。大変そうである。あたしはあたしで最近ちょっと太りすぎだと言ってご飯を減らされるという辛い状況にある。

 ヒトは、死にそうな息子の話に涙を流している様子である。実際に泣くヒトをいまのところ、ちょろしか見ていないが、「泣いてしまった」という話を目にする。さて、あたしには泣くということがどういうことか、少しわからない。笑うにしろ、泣くにしろ、ヒトはするが、猫はできないことである。もしかしたら、猫には悲しむとか可笑しく感じるという機能がないのかもしれないし、あってもとても小さいのかもしれない。ないのかも。

 しかし寂しいという感情と嬉しいという感情はある。今朝は息子が寂しがっていたので、それにあてられてあたしも寂しくなったので、くねくねを呼びに行った。くねくねは、ちゃんと察して(十年以上以心伝心することなど滅多になかっただけに最近のこの察知の能力の成長にはいささか驚いている)、あたしについてきて、息子とあたしを抱いてしばらく過ごしいた。息子は少しホッとして、あたしはごろごろいってやった。あたしになついていたはずの息子が、くねくねに甘えるようになったのは興味深い。彼が安息の地として定めたのは、ヒトベッドのくねくねサイドでもあった。あたしでもそこを選ぶことだろう。写真のここである。

 死ぬには良い場所だろう。さて死ぬまであたしはどれだけレトロトを食べられるだろうか。息子は最近になって贅沢な食事を食べさせてもらっているが、堪能できていない様子である。もう少し早めから贅沢なご飯を供してほしく思う。夜露死苦である。

 さて思うに、あたしはヒトと暮らしていなかったら、寂しいという感情をしらないで生きてきたかもしれない。持っていてもいずれ捨てていたことだろう。寄り添うものがあるから、寂しいということを覚えるのだろう。であれば、寂しいというのは良いものである。あたしはこれを書いたらまたベッドに戻って息子に背中を付けて横になる。今息子はひとりで寂しいなと感じているだろう。それが消える瞬間に、嬉しいが始まって、寂しくない間に安心の気持ちが広がる。それがこれから息子のなかで始まるなんて、うれしいから、そろそろ書くのをやめて、ベッドに戻る。

あたしが寂しい時には、くねくねかちょろが寄り添ってくれるはずである。

彼らが寂しい時には、誰が寄り添うのだろうか。互いにであろう。最後に誰か一人になったときは寂しいは消えないままなのだろうか。きっとそのヒトは素敵な記憶に安堵するのかもしれない。だからヒトは記憶に優れているのだろうか。なんしあたしたちは安心して寂しがれるというものである。







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[ 2015.01.23 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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