ゆき
2015.01.30
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母猫のポン・プルクワです。
息子のカントとヒトの「くねくね」と「ちょろ」、それからわんこ2つと暮らしています。


雪である。

あたしたちはヒトより鼻や耳が良いが、目が良くない。雪もそれほどちゃんと見えているわけではないが、なんとなく見えてはいる。あたしも息子もわんこも布が巻き上げられて顕になった外に雪があからさまに舞っているのをぼんやり眺めた。今朝。

最近、ようきゅうがなぜか全部通るようになって夜中でもお腹が空いたと訴えるとご飯出るようになったので、朝ごはんは夜明け前というよりは夜中ぐらいになってきた。あたしたちがご飯を食べきるまで、くねくねはあたしたちの背後にいてぼうっとしている。あたしたちがご飯を食べ終わると電灯を消してベッドに戻り、「おいで」と言って布団の端をめくってあたしか息子を待つ。弱りまくりの息子がすぐに中に入ってくねくねにくっついて眠る。出遅れたあたしは、できればくねくねがわに寝たいので息子の上にのって無理矢理割り込む。そうするとごちゃごちゃになるが、構わず寝てしまう。布団の中は暖かく、布団の外はなかなかさもい。日が昇るとわんこのでかいのが騒いで怒られる。

息子は眠っているようで眠っていない。きっと痛いのだ。くねくねの寝息と息子の鼓動、わんこの寝言、ちょろのいびき、夜明け前にベッドの上でいろいろな生き物の音がする。そのなかでもあたしは息子の鼓動に注目してみる。落ち着くのである。鼓動に関してはヒトのそれより猫のもののほうが落ち着く。ヒトの良い所は四方を壁のようにして抱いてくれるところである。あたしたちは身体が何か触れていることにだいぶ落ち着くからである。

雪を観ていつも思うが、うちのなかは暖かくてよいが、外はずいぶんとさもそうで、アウトドア派の猫たちはどうしているのだろうと。しかし過酷ながらアウトドア派はアウトドア派で子孫を残し、恋をしては子を産み産ませ、それはそれで猫の幸福のひとつだろうと、物の本で読んだ。だからあまり気の毒に思わなくても良いかもしれない。が、さもいのは嫌である。あたしはインドア派のままでやっぱり良いや、雪の日にはそう思うのである。

あたしたちは本当は産むことが生きている理由だった生き物らしい。しかし、であれば、あたしが子も産まずに生きてきた時間は意味がないのだろうか。ぜったいにそんなことはない。首を撫でられて気持ちが良いとか、くねくねの仕事の邪魔をしてみたら、頭を撫でられたとか、息子の鼓動を聴きながら眠るとか、そういうことぜんぶに意味がある。なぜなら、それらを感じるあたしがいるからである。感じるあたしがいる、ということに意味がある。生物学もエコシステムもしったことではない。

感じているあたしに意味がある。息子にとってもそのはずである。痛い痛いだけではないはずである。弱って寝ている息子のもとへくねくねやちょろが寄ってきては話しかけたり撫でたりしている。そのとき息子は何を感じているのか。たぶんちょっとそっとしてよ、という気持ちと、いろんな意識が自分に今も向いているという喜びであろう。あたしたち猫は単独行動の生き物だというが、みんなでいるときにはやはりあたしたちを思ってくれる生き物がいることを喜ぶものである。

雪が降るのを観ると思うのだ。暖かいことは良いことだなと。温かいことは良いことだなぁと。




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[ 2015.01.30 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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