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母猫のポン・プルクワです。
息子のカントとヒトの「くねくね」と「ちょろ」、それからわんこ2つと暮らしています。


以前のうちからだともう少し大きく聞こえた「がたりがたり」という音が、このうちでは「ばからばから」と少し小さく聞こえる。馬車のような音である。朝になると窓が開け放たれて、息子とあたしは鼻をつかって景色を嗅ぐ。生き物の匂いが多いから、季節が暖かいものに変わってきている実感を得る。音も変わって広がりのある柔らかいものになった。冬の音は指すように細い。散歩から帰ってくるわんこたちは、身体にいっぱい植物や土埃の匂いをつけてくる。しかしすぐに水場へ連れて行かれて、洗われてから出てくるから、匂いのお土産はすぐに流されてしまう。

 そういえば、あたしはまだ死を見たことがない。産んだ子猫のうち、一頭は死んだが、死ぬところも死体もあたしは見ていない。すべてのターミナルはくねくね側で始まって終わった。あたしは思うのだけれど、個体の死は種や遺伝子において情報のリセットであり、受け継がれた子孫の成長を促すもののようであるが、そんな進化なんてクソ喰らえばいいのにと。うちにいる丁稚のわんこ、ぞぞは実際にうんこを食べることがあるので、彼女たちには「クソ喰らえ」は罵声ではない。話が変わっちゃったけど。ぞぞももも、うんこはなんなら食べても良いものらしいので、「クソ喰らえ!」といったところで「え? いいの?」という肯定的な反応が返ってくることが想像できる。話を戻す。個体の死を情報のリセットにつかうなんて、なんというか腹立たしい。息子も、くねくねもちょろもわんこもあたしも、ずっと元気でいいじゃないか。あ、そうか、もしそうれがまかり通るなら、世界は生き物で溢れてしまうのか。死骸が石油になったくるまを動かしたりすることを考えると、そうかそうか、くるまはいらぬがまわりめぐって、死は必要なものなのか。

 しかし、かといって不可避な死に苦しみなど伴わなくても良いだろう。もっとソフトに死んでもよかろうて。と思ったが、死に苦しみが伴わなければ、あたしたちは死を忌み、生を求める強い意志を持ち難いのかもしれない。そうか、そうか。こうして考えてみて思うのだが、理路整然として、筋が通っていることって腹が立つ。理屈や進化が正論が、今あたしのまえにいたのなら、遠慮も加減もなく、がぶりと噛んで噛みきってやりたいものである。





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[ 2015.03.30 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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