くっしょん
2015.04.02
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母猫のポン・プルクワです。
息子のカントとヒトの「くねくね」と「ちょろ」、それからわんこ2つと暮らしています。


「高貴」。それはあたしのための言葉。この言葉をつくったものへ、カリカリ3粒を授与したいものである。存命だろうか。
息子がどんどん弱まっているので、すっかりくね部屋ぐらしである。本の執筆もあらかた終わった。(実際のところ、もうほとんどあたしの仕事は終わっている。あとはくねくねとしっぱんしゃのやりとりである。)

息子の生命力の減少を憂う気持ちが、ヒトから発せられているが、それ以外にもいろいろあるみたいで、うちのなかは複雑な気配が漂っている。一番シンプルな気配は息子から発せられていて、余力がないぶん純化した「生きる」という意志を含んだ気配である。吐いても食べる。血を出しても食べる。あとは休む。ときどき散歩する。不思議なもので、そんな息子の姿を見て、くねくねもちょろも生きる気力をわずかながらも強化している様子である。それでも、ふたりともヨロヨロはしている。

みんな弱って、弱っているからこそ生きようとしている。あたしは、というと寂しい思いをして過ごしている。くねくねがあたしを撫でてくれる時間が少ないし、遊ぶ時間もあまりない。外に出かけようかな、とすら思う。


息子を見ていて思う。なぜ死ぬにあたって、そんなに苦しまねばならないのだろうか、と。くねくねやちょろを見ていて思う。なぜ生きるにあたって、そんなに悲しまねばならないのだろうか、と。思うに、大事なものを包むやわらかいクッションみたいなものなのではないだろうか。苦しみとか悲しみは。死に苦しみが伴うから、あたしたちは生きていることを、生きることを大事にする。生きることに悲しみが含まれているから、喜びや安堵や楽しい時間やヒトや空間を、ヒトは慈しむのである。

 痛いのも悲しいのも嫌だ。それにあたしは「悲しい」をあまり知らない。でも、ちょっとあたしに時間をさいて関心をむけて、背中を撫でたり、遊んだりするだけでぜんぶ温かい気持ちのなかに含まれてしまうんだから、それくらいのこと、してくれればよいのに。「忙しい」ってやつ、袋にいれて捨てちゃえばいいのに。




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[ 2015.04.02 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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