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母猫のポン・プルクワです。
くねくねとちょろと丁稚のわんこ2つと暮らしています。


 息子はあたしよりも機敏な動きをする猫に見えるような動き方をする猫であった。実際のところは、あたしも息子と同じくらいの運動能力を持っているものの、見え方ひとつの違いで息子は、機敏な猫であるという印象をヒトに与えていた様子であった。例えば、開き扉の上辺部分にも、したんと乗って見るヒトを驚かせたことがあった。あたしもそれを見ていて、それくらいあたしも余裕の所業であることを示さんとして登りかけたところを、ヒトたちが「ポンちゃんはダメ!」と言って急にあたしを止めたのである。あたしが文化的にも心情的にも重要な存在だったためだろか、そんなあからさまな差別を息子の前でするなんて、(息子に対して)感じが悪いではないかと無いまゆをひそめたものだったが、しばらくして、あれはあたしにはドアの上に登るなんて芸当は無理だろうという制止だったかもしれないと思うに至って不快に思ったものだった。

 もちろん息子にできることはあたしにもできる。が、それをひとつひとつ証明しては息子の自信を奪ってしまうかもしれない、あたしはそう考えて、以降息子より機敏に動くことを控えることにした。果たして息子は自分が運動能力の高い猫だという自負を持つようになり、よく弾むゴムボールなどを得意げに捕まえる技を披露しては、くねくねや当時のくねくねの同居ヒトに歓声をあげさせていた。

 あたしにしろ、息子にしろそういう運動能力を狩猟やケンカなどに使うことはほとんどないままに過ごしてきた。生死やヒエラルキーでの出世に大きく関わる自分の能力の程度を良くも悪くも正視せざるを得ない環境とはどんなものだったのだろうか。そんななかで気の弱い息子はどのような成長を果たしのであろうか。わからずじまいであるが、屋内においては息子は、あたしよりもとく可愛がられることもご飯を多くもらうこともなく、平等に扱われていた。

 ヒトは比較が大好きで、誰よりも自分が恵まれているかどうかという検証を経て、自分の幸福の程度を決めているようにみえることがあるのだけれど、それに倣おうとしても、他の猫の生活を自分のそれを比較するすべがあまりない。ニャクシーなんかはあやふやなニャービスなので、あまり当てにもならない。ただ捨てられる猫、保護されてしまいには殺される猫の数の多さ(犬も含む。という
か犬の方が多い)を知ると、ずいぶんと恵まれているとは思う。というか、なぜ殺すのか解せない。ちょっと考えてみたが、人間の社会に不都合だからか。

 あたしが人間社会に対して強いメッセージを持っているわけではない。しかし捨てられるのも殺されるのも嫌だなと思うから、あたしのまわりのヒトにはちょっと言いたいのは、どうしてそんなことになっているか考えてみて欲しいということだ。動物を簡単に捨てる人ヒトがどうして簡単に動物を手に入れることが可能なのか。そもそも多すぎて処分されている現状を省みること無く、売買されているのはなぜか。可愛いから飼うのなら、可愛くなければ捨てるのか。血統証のある我が家の犬は病気をいっぱい持って、身体が弱く、そうまでして血統証を守るのは誰のためなのか。等々。

 気がつけば話しが変わっていたわ。あたしたちが上手いこと独立できるような知恵と力があれば抗えるのだけれど、どちらもヒトには敵わない。

 なんだか難しいことを考えてしまった。おかげでお腹が空いてしまったので、そろそろ筆を置いておやつを催促してこようと思う。



あたしのエッセイ集が発売されます。





[ 2015.05.05 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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