ねつ
2015.05.07
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母猫のポン・プルクワです。
くねくねとちょろと丁稚のわんこ2つと暮らしています。

本日ぐらいからか、あたしの書いたエッセイ集が、本屋さんで売られ始めているはずである。冒頭に冗談のように「息子に捧ぐ」(まだ生きているけど)と記したが、出版される前に、息子は死んだので、あんまり冗談にはならなかった。では息子に捧げたものかいえば、そうではない。あれはなかば、あたしが自分のために書いたものである。息子に捧げたのは、愛情であろう。そんな積極的な愛情ではなかっただろう。それでも、寄り添い、舐め合い、互いの存在をなんとなく支えあっていたように思う。

 写真は息子が死ぬ直前のものである。息子はほとんど歩けなくなっていたが、むばってあたしの側まで来て、しばらくの間くっついて過ごし、また猫ベッドによろよろと戻って、今度はヒトに挨拶をして死んだ。臆病な猫だと思っていたが、死に際にみせた態度には尊厳のようなものをみた。

 あたしはそのうちに息子のことをだんだん忘れていくことだろう。今はまだひとりで眠り続けることに寂しさを感じているが。息子の書くものも好きであった。世界は庇護のもとにある気配に満ちたもので、その庇護はあたしそのものであったのだが、それでも愉快に読め、不思議と安心したものだった。今では、くねくねが以前よりも時間を使って、あたしのことを心づかってくれていて、息子の不在を柔らかいものにしてくれている。

 それでも、昨晩の深夜に犬の鼻頭を殴ろうとしたら、ものすごく怒られた。怒ったのはくねくねで、あたしを怒ってからすぐに、怯えている犬を大事に抱きながら、何事かを話しかけ、それからあたしのもとに駆け寄ってきて、同じようにあたしを大切に思うという意味の言葉をかけながら、あたしの首や耳の後ろを撫でた。彼の手からは犬の匂いがいっぱいしたが、やがてあたしの匂いと混ざった。

 あたしは寂しいのである。薄れゆく記憶は良い。致し方のないことである。ただ今あたしは寂しいのである。大事な存在を持つということは、こういう代償を伴うのだろう。あたしはそれを払わないで済むとしたら、それは息子がそれを払うことを意味する。そういう喪失による苦しみをヒトは、胸に穴が空いたようなと表現する。でもどうだろう。わからないが、不在が生む寂しさは、さもいときに感じる自分の体温のように、妙な温かさも伴っているように思う。それは一緒に過ごしてきた時間があたしの中に蓄積されていて、それが薄ぼんやりと熱を帯びているからかもしれない。

 そういうのって素敵なことではないだろうか。




あたしのエッセイ集が発売されます。




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[ 2015.05.07 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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