IMG_9583.jpg



猫のポン・プルクワです。
くねくねとちょろと丁稚のわんこ2つと暮らしています。
猫、ポン・プルクワへの連絡はponyan@graphic57.com。


先日、ひさしく会っていなかった女のヒトがあたしに会いに我が家にやってきた。少し痩せていたが、匂いや声は変わっていなかった。だいぶ前に会ったヒト、というのはあたしにとっては日頃意識していない過去がやってきたように感じる。あたしの小さな脳は収納上手で、使わなくなったものを押入れの奥や階段の下に隙間なく片付けるか、ときどき思い切って捨てる。その女のヒトのことも、ごそごそと奥のほうからひっぱりだして思い出した。だいぶ昔にうちにきてご飯を食べて帰っていくことが何度か会ったヒトであった。彼女にあって当時のことをぼんやり気配で思い出した。賑やかだったこと。そとの景色がよく見えたこと。具合が悪くなったときに隠れる場所(まっくらになるクローゼットの中だった)。そしてそんなあたしについてまわった息子猫、カントのことも。

 ヒトのように生きながらえていくにつれて記憶を重ねることは、猫はほんらいあまりない。もうすこし記号的に「これを食べるとよくない」とか「ここらへんで痛い目にあった」とかそういう記憶は、生きる知恵と生き抜くための勘にはなるものの、「あのときこうだった、ああだった」という思い返す類のものにはならない。あたしがときどき昔を回顧するように思い出すのは、ヒトに感化された結果であろう。とは言え、小さくてかわいい脳の持ち主であるがゆえ、豊富な記憶ではない。なんとなくである。なのにエド・はるみがすごく長い距離を走ったというあたしにとってはどうでも良いことをいつまでも覚えていたりして、記憶の無駄遣いもときどきしていて、思い通りにならないことに驚くこともある。

 同居ヒトたちは、きっとあたしよりもずっといろいろなことを記憶し、あたしが死んだあともいろいろと思い出してくれることだろう。でも、それは彼らのためのことである。あたしは今気にかけていただきたく思う。そういう不満は何度もここに書いているから、さておいてみるけれど、なつかしいヒトが訪れた時に、思い出すために、押入れにいれたあれこれが脳の居間に散らかっていて、それらは混然としながらも、なんだかくすぐったくもあり、その使い道のない記憶を眺めて思うのは、ああ生きてきたんだなぁということだった。

 死んだら、これらの記憶も消えるのだろうか。なんというかもったいないものである。





あたしのエッセイ集がしっぱんされてます。




↓これをぽちりすると白黒猫ランキングで1位に近づくそうです。押してほしい。

白黒猫 ブログランキングへ

-------------------------------------------------
母猫のポン・プルクワです。
あたしのツイッター: @ponyan01
あたしのフェイシャルブック: https://www.facebook.com/ponne.pourquoi

あたしと息子のグッズを販売しています。
Ponne et Kant Pourquoi
http://ponnestore.com/
-------------------------------------------------


[ 2015.07.13 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

秘密