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猫のポン・プルクワです。
くねくねとちょろと丁稚のわんこ2つと暮らしています。
猫、ポン・プルクワへの連絡はponyan@graphic57.com。

少しまえの写真である。こうしてみるとかつてあたしはけっこう活発に動いていたことがうかがえる。さいきんのあたしはけだるいのでおおむね移動しない。ひねもす瞑想しているといっても過言ではない。瞑想しているあいだ、散り散りになった記憶がカーテンをあけたとたんに舞ってみえる塵のように、それらが何かわからぬままに意識のなかを漂っているすがたに見える。 

 昔住んでいたうちの布団の匂いだったり、出窓(出窓があったうちなど1軒しかなかったはずだ)で感じた日の傾く動きの気配だったり、同居ヒトだったヒトの声だったりする。それらはすべて今ここに無く、昔を思い返すことなどそうそうないあたしにとって(思い出したくても、あまり覚えていない)、それらの記憶の断片というか塵は、あたしの思考のなかにまだ残っていることがとても不思議で驚くほどである。いったいどこにそんなものがしまわれていたのか、皆目検討がつかない。この世は不思議なことでいっぱいである。

 不思議ではあるが、ずうっと目を閉じて過ごしていると、遠くあったなにかが不意にそばにあることに気づくような、はっとする刹那がある。にゃくしーにログインしているわけでもないのに、遠くの何かとつながったかも?という感覚がときどきある。それは今に限らない。ずいぶん昔の今は無きものたちでもありうる。それが腹の足しになることなければ、あたしを元気にさせることもない。それでもなんだか、あたしが普段感じていることの裏側にある、宗教にちかい壮大なしくみをちらっと垣間見たような、不思議な感覚のうずきをあたしのなかに残していくのである。おもしろいものである。

 まあ、そんなことは気のせいくらいに一瞬のことであり、それ以外の時間は静かに無の睡眠のなかにいたり、家人たちの気配をなんとなくなぞったり、そとで愚痴をこぼす猫の声を聞いたりして温かいまぶたがつくる闇のなかで過ごしている。その背景にはとぎれなく走るくるまのおとがある。ヒトのだれかがどこかからどこかへ向かう音である。忙しいそうだ。

 ところでではあるが、あたしのこの瞑想には安心のブラケットがかけられている。それはヒトと暮らしていて得られるものである。日々を必死でサーバイブする外派猫たちの人生は充実したものであろうが、あたしもあたしで、心地良い安心とともに暮らしている。それは安寧というものではなく、たぶん愛というものである。一緒に暮らしていた猫や犬を悲しむヒトの姿をときおりみかけるが、あたしたちはヒトと暮らしてきて、甘えて、優しく撫でられて、そういう記憶が消えても塵として残ったまま生涯をまっとうするなんて、なかなかうれしいことなので、そんなに悲しまないで欲しく思う。あたしはまだ死んでいないが、「いやいやどうもありがていこって」と思う気がしている。

 遠く消えたと思った様々な記憶の気配を自分のなかにみつけて、遠くのなにかと一瞬つながったような感覚を得て、あたしは思うのだけれど、生きるというのは良い。子を産めなくなろうとも、なんだかよくわからない良い。太陽の光に意味なんてほんとうはないのだろう。だけど、それにふれてあたしの毛はふわりと広がる。そして心地良く思う。生きるということは、この太陽のひかりのように理屈ではうまく説明できないが、毛をふわりとさせるような意義があったりするのではないだろうか。

にゃ。





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[ 2015.07.28 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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