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 白黒の猫のポン・プルクワです。

 さいきんのあたしが思うことは、ふたつあって、ひとつは床暖って素敵ということ。あたしのトイレ型ニューハウスはプラチック製なのだけれど、床が薄いためか、床暖のぬくさがプラチック製の家の中もいい具合にぬくくしてくれるのである。この冬は、ぬくさに関してはすこぶる快適に過ごすことができた。肉球がひやっとすることがあまりなかった。しかし、あたしのダイニングは、写真のこのごちゃごちゃしたくねくね(飼い主)の部屋のほうにあって、こっちには床暖がない。そのあたりが、ちょっと残念というかホスピタリティというものが欠けているかなぁと思わなくもないが、昼寝をしているあいだなどは申し分ない。雨の日も雪の日も床はぬくかった。ニャーベル賞とうものがあったならば、床暖を作った人に授与したい。

 もうひとつ思うことは、すごおく寂しいということである。ばっちばちに寂しい。うちの人たち(ふたりいる)は、あまり外出することなくうちにいることが多いので、彼らに対して寂しく思うことはあまりない。誰に対して寂しいかというと息子に対してである。息子は2年くらいまえに死んだ。いや悲しい話ではない。実際に猫は、悲しいという感情についてはうまいこと理解できない。しかし日が経つにつれて、不思議と寂しいという思いはつのりつのって、どんとあたしの思考の隣に居座るくらいになっていった。そういうことに自分でも驚いた。



 あたしは、自分が生まれてからけっこう早めに息子を産んだのだけれど、産んでからずっと15年くらい一緒に生きてきた。そして夏だろうと冬だろうと息子はあたしにくっついて眠るのが好きだった。ときどき暑かったり、重かったりして煩わしく思うことも少なくなかったが、それが日常というかあたりまえに存在していた。ぬくもりと重さと気配である。外で暮らす猫の寿命より三倍くらいの長さをあたしは息子にくっつかれながら過ごしてきたことになる。それがなくなってしまったということに、意外なほどあたしは寂しく思っている。その寂しさは先にも述べたが、日に日に増していて、ここ最近になってやっと落ち着いてきたところである。



 寂しくなると、あたしは子猫みたいな鳴いてぬくもりを持つものに向かってその寂寥を訴える。人がうちの中にいるとくねくねかちょろ(くねくねの伴侶)が、ばたばたとあたしの居るところに来て、首や耳の後ろを撫でたり、掻いたり、側でじっとしたりしてくれる。すぐに彼らは去ってしまうが、あたしの寂寥は、吐いたあとの毛玉みたいにころっと身体から出て一度消える。ありがたいと言えば、ありがたい。しかし人がいないと、あたしの訴えは、うちのなかの空中に浮かんで、しだいに消えてしまう。うちにはわんこたちもいるので、あたしの鳴き声を彼らが聞くこともあるが、だれもあたしのそばまで寄ってきてはくれない。どうにも寂しいときは、あたしからわんこのいるわんこ家に潜り込んでいくのだが、彼らは逃げてしまう。結果、わんこのぬくもりと匂いのあるわんこ家の中であたしはひとり眠ることになる。それでも少しは寂しさが紛れる。

 日常になったぬくもりというものは、奪われるとこれほどの寂しさに取って代わられるのかという驚きを、あたしはこのほど感じ続けてきた。あたしは眠るとき、くねくねの脇に潜り込んで眠るのだが、そのとき少しだけ、くねくねが死んでしまったら、さらに寂しい気持ちになるかもしれないからそれは嫌だなぁと思うことがある。そして同時に、今ここにぬくもりがあることにとても安心もする。

 生き物に体温がある意味を、こうしてあたしは最近よくわかってきた。そして、寂しいと思えることが、息子が生きてきた意味にもなる気がして、悪くはないと思っている。

P



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[ 2017.04.06 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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