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猫のポン・プルクワです。

前のブロゴにも書いたが、あたしもずいぶんととしをとった。

しっぽのつけねが痛む。歯は抜ける。すごくお腹がすく。うんこが大きい。寝付きがわるい。などなど、よるとしなみたつみがすごい。

そんなわけで、いつ死ぬかもわからないので、日々の思うところとともににゃんせいをふりかえってみるのも悪くないかもと思う。猫が振り返られるほどにむかしのことをおぼえているのか?とわらわれるやもしれない。これがふしぎなもので、としをとると、さっきまでのことはあまり思いだせないのに、昔のことがすっと思い出せたりする。おっかけていたのが、じぶんのしっぽだったみたいなシステムだろうか。

あたしは、いちど本をしっぱんしていて(その印税で暮らしている)、そこで今までのにゃんせいを振り返ってはいるのだけれど、としをとったいま、あらためて、ふりかえってみると、またちがったふうにみえるかもしれない。

さて、ふりかえってみるまえに、ことわっておきたいが、すんなりおもいだせるといっても、さほど克明ではない。なにせ猫である。あたまの大きさをみてもらえればわかるとおもうが、あたしたちの頭は、ぜんぜん小さくてかわいいのだから、おぼえていられることにも限りがある。そしてたぶんだけれど、人ほど人付きあいをするひつようのないいきものでもある。つまり他の猫との継続的なコミュニケーションという意味だけれど、家に住んでいるので、そもそも他の猫に会うことがない。だから、なにかをちゃんと覚えている必要がない。たとえば誕生日とか。娘さんのなまえとか。だからぼんやりした話にはなると思う。

あたしは、さいしょ、いまの人たちではない、ほかの人といっしょにくらしていた。そして妊娠したら捨てられたのだけれど、するとしばらくして、いまの人に拾われた。捨てられる神がいれば、拾われる神もいる、そういうことだろう。それからはいちども捨てられていない。きっとこれからも捨てられはしない様子である。捨てられないどころか、同居する生き物が増えている。人がひとりと、わんこがふたりである。しかしあたしの息子猫、カントが途中で死んだので、ひとりは減っている。あんまりいろいろ増えるのも困るが、減るのはもっといやなので、ほどほどを望む。

そんなわけであたしはアウトドア生活のけいけんがあるわけである。火はおこせないものの、なんとかいきのびることはできた。しかしさもいよね、そとは。このきせつ。ときどき家人がまどを開けるけど、ぞわっとする冷気がずかずかはいりこんでくる。あんななかでずっと生活するのは、ほんとうに願い下げである。アウトドアでくらしている猫たちは、とってもたくましい。

だからあたしは藤岡弘をテレビでみると、外でくらす猫たちに思いをはせてしまう。自動的に。たいしたものである。


 



あたしのエッセイ集がしっぱんされてます。読んでくれたらごろごろいうほど嬉しいます。




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[ 2018.02.08 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

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