FC2ブログ
IMG_4675.jpg


ポン・プルクワだす。白黒猫19年やらせてもろてます。

人に囲われる動物で、一緒にいることのほかに目的のないものののことをペットと呼ぶらしい。

囲われているが、ペットではない生き物たちは、だいたいが家畜で、それ以外は、実験とかテストに使われるそうだ。
ユヴァル・ノア・ハラリの本によれば、家畜たちの日々はかなり過酷で、人のいうところの殆ど地獄なのだそうだ。
生んだ子どもとは引き離されて、ひたすら搾乳されたり、できが悪いとシュレッダーにかけられるのだとか。

生きていても、満たされたり、安心したりできる時間がないというのは、ちょっと想像してみてつらい。家畜たちも大変なものだ。ただし、生物としては、「繁栄」を尽くしている状態だという。地球上にいるその数は、重さで言えば、人をゆうに超える。個体数の多さ、生き残り続ける遺伝子、という意味では、王者の域である。

ユヴァル・ノア・ハラリの本にも、その他の本にも、生き物は、繁栄を狙って設計(デザイン)されているが、幸福になるようにはデザインされていないのだそうだ。牛や鶏たちの有り様をみれば、しごく納得のいく話である。

あたしたち、ペットである猫や犬も、そこそこ大変で、飼い主によっては地獄をみるし、ブリーディングに使われると、苦しみや喜びを無視された道具として一生を過酷に終える。とは言え、愛玩として世界に繁栄しているといえばしている。個体の幸福など、遺伝子には関係がないのだ。

リチャード・ドーキンスはんは、生き物を遺伝子の乗り物、と呼んではった。さもありなんである。が、生き物がわでだって、幸福とか安心とかを追求したいだろうし、場合によっては、それができる。

ところでだけれど、猫に「幸福」という概念があるのか、と問われると、ほんとうのところは、無い。

以前も似たようなこと書いた気がするが、「幸福」には、未来という概念が含まれている。今だけでなくて、少し先も不安なく満たされていること、それを幸福と呼んでいるはずである。

では、猫や、おそらく犬には、何があるのかというと「嬉しい」という今の感情である。

鳴くと、人がやってきて、なでたり、ごはんをくれたりする。意識をあたしにむけてくれるわけである。これは、子が親に求める行動とほとんど同じで、あたしたちは、飼い主を自分の母親に見立てて、甘えるわけである。

人のほうは、あたしたちを育み、養い続けるその見返りに「幸福感」を得ているのだとか。人は、他者に優しくすると幸福感を得るのだとか。なかなかのWin−Winシステムである。

おもしろいもので、本を読めば読むほど、幸福というものが、アルゴリズムを形成するための原動力に過ぎないことがわかってくる。あたしたち、ペットの安心とか喜びも然り。

そして、意外なことに、あたしたちの感情が、ただのアルゴリズムだとわかればわかるほど、

「それならそれでええやないかい」

という開き直った勢いをつけて、喜びを追求するようになるのだ。

キリスト教神学者の「クレド・クィア・アブスルドゥム」ということばを思い出す。「不合理なるがゆえに我信ず」という意味のラテン語である。あたしたちが、現象であれ、遺伝子の乗り物であり、喜びを追求するのが良いんじゃないかなって。

あたしたち、ペットの生涯は、飼い主たちに依存するわけだが、飼い主がいい感じの人であると、生涯、満ち足りたものになる。先のことはわからないが、今と今までは満ち足りている。

「生きて、産んで、育てろ」

というのが遺伝子のめーれいなのだそうだが、その辺は、無視して、楽しく生きている。

それもまた、クレド・クィア・アブスルドゥムということじゃないだろうか。

P




あたしのエッセイ集がしっぱんされてます。読んでくれたらごろごろいうほど嬉しいます。




↓これをぽちりすると白黒猫ランキングで1位に近づくそうです。押してほしい。

白黒猫 ブログランキングへ

-------------------------------------------------
ツイッター: @ponyan01
いんすたにゅにゃむ: ponne_pourquoi
フェイシャルブック: https://www.facebook.com/ponne.pourquoi
------------------------------------------------
[ 2019.06.11 | 猫日記 | コメント: 0 | PageTop↑ ]

秘密