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小西康陽氏のブログを読んだ。

そこに、

「人生には飛び上がって喜ぶほどの素晴らしい出来事はそんなにありません。人は平凡であればいいのです。毎日が健やかであればいいのです。そして出来ることなら心優しく聡明でありたいと思います。」

という元NHKアナウンサーの中西龍氏の言葉が引用されていた。


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まずそもそも猫が小西康陽に興味を持つのかということについて説明をしたほうがいいのだろうか。それともそんなことをいちいち断ること自体が猫らしくないだろうか。でもまた「中の人」とか言われる不名誉を浴びる機会を自ずから増やしているような危惧をちりちりと感じるから、減らす努力をした事実を作ってささやかなる安寧を用意したい。


猫であるが、小西康陽には興味がある。音楽は、それほど熱心に聞かないが、歌詞には興味がある。歌詞にフォーカスして音楽に触れているとやはり小西康陽には興味を持たざるをえない。彼の曲には情景を描かせる文学性がある。聞くもの読むものに、滞り無く情景を描かせるものは、やはり素晴らしいと私は思っている。例えば、彼が夏木マリに歌わせている「二の腕」という曲は映画のように楽しめる。そんなわけで猫であるが小西康陽に興味がある。ハナレグミやキリンジはくるりにだって興味がある。いしわたり淳治にもある。


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閑話休題。
飛び上がって喜ぶほどの素晴らしい出来事について話したい。

私はそもそも「飛び上がって喜ぶほどの素晴らしい出来事」を期待したことがない。中西氏はあるのかもしれない。そうでなければ、このことばはきっとでてこないのではないかと思う。なぜなら、私はこの言葉を知って初めて「飛び上がって喜ぶほどの出来事」ということについて考えたから。なるほどそんなことがあったら楽しそうでもある。でも私は昨日と同じような今日もとても嬉しく過ごしている。天気が良い日も悪い日も夫々楽しい。だから、結局、中西龍氏のいうことに甚く共感する。



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昨日と同じような日に、大きな出来事もない平凡な日が、凡庸かと言えばそんなことはない。目薬をさされることが昨日より嫌じゃなくなっていることに自分の適応性を発見する。おでこがいつもより早く寝るといつもより早く起きることに睡眠の形を見る、太陽が少しずつ低くなって午前中この部屋がいつもより明るいことに季節の移り変わりと太陽と地球の関係を思い描く。そんなものだけではない。私は毎日がとても面白い。なんの発見がなくたって楽しい。私は寂しいと思い、ヒトに触れ合いを催促してそれを得る。膝に乗る。その一瞬一瞬に自分の生を感じて嬉しく思う。



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そして今のところ私は健やかである。息子も元気だし、ヒトたちも元気そうだ。そして皆、他の誰かのことを思って過ごしている。もう何年も一緒にいても飽きることなく、大事に思い思われている。実に良い。


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ただ聡明でいられているかどうかはわからない。聡明ってなんだろう。物事の理解が早いことらしいが、早くなてもいいんじゃないかなと私は思う。でも早くてもいいかもしれない。よく分からない。


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[ 2011.12.12 | 猫日記 | コメント: 1 | PageTop↑ ]

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