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ばいばい
2013.04.11
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猫です。

猫というものは、売られていることを知った。猫には種類があるということも知った。アビシニビニアンとかロシアンなんちゃらとか。他の猫に会う生活ではないし、会ったとしてそんな種類など気にしたことなどまったくなかった。そういう種類によって価格が違うのだとか。私は売られていたとしていくらだったのだろう。かなりの高額になるんじゃないかと思う。ダウンタウンの番組に出てくる叶姉妹の私服の値段のようにみな驚くような、そんなレベルになる気がする。が、私は種類としてはなんなんだろうか。シロクロニアンとかそんな感じだろうか。

ヒトは、何でも売りる。売るということは、他の誰かが買うわけでもある。そういうことが好きなんだろう。私もマックブックエアー欲しさにお金をためたことがあった。結局たまらなかったけれど。お金というものは、やはり今ひとつよくわからないままではある。

それはそれとして、買った猫や犬を、捨てるヒトがいるのだとか。まあ、逆に私たちが人間を捨ることができるという選択肢があるなら、そんなことをしないとも言い切れないだろう。わからなくもない。例えば、向井理が「うちにおいで」って言ってきたら、私はちょっと揺れる。しかし、捨てられた猫や犬、(主に犬になるそうだ。野良猫は許されるが、野良犬は許されないらしい)は捕まって、じきに殺されるらしい。食べるのか?と思ったらそうではなく、お金がかかるから殺すらしい。(ようはだいたいお金の問題なのか。)そんな犬や猫がいっぱいいるらしい。

それなのに、多くのヒトは、お店(ペットショップって言う)で、犬や猫をみて、種類で選んで品定めをして買う。でも、わけも分からずに捨てられて、わけもわからないまま捕まって、殺されている犬や猫をどうして助けないのだろう。彼らは犬や猫と一緒に暮らすことを求めて、買うのではないのか。殺されていく犬や猫より売られている犬や猫のほうが何が優位なのか。種類が大事なのか。買うことが楽しいのか。

自分と同じくらいに猫や犬を大事にする人間もいれば、捨てたり買ったりする人間もいる。何万匹なんて聞くから、何万人という人間が犬や猫を捨てているのだろう。思うだが、ペットショップの横で、捕まった犬猫を見せたらいいんじゃないかしら。人間はときどき、大きな脳みそを持っているのに、私たちより想像力が足りないことがある。不都合なことは考えないんだろう。でも、私もそうかも。


くねくねは、朝からミッシェル・ガン・エレファントを聞いたり、夜中に踊ったりといろいろと騒がしいが、彼は私と息子を捨てるとか暴力をふるうとか、絶対にしない。たとえばくねくねが死んじゃうなんてことがあれば、いなくなったけど、おでこがやってきて、私と息子をどうにか助けてくれるだろう。

だから私は安心だけれど、今も不安のままうずくまっている猫や犬がいて、彼らの悪い予感は時期に現実になって、殺される、ということがずっと繰り返されているということをどうにかすることはできないのだろうか。猫好きとか犬好きなんて言葉をネットでよく見かけるけど、どうして誰も助けないのだろうか。

私はペットショップもペットショップで犬猫を買うヒトも嫌いだ。私には猫の種類が大事な理由が何一つ理解できない。生きていて、生きようとしていて、一緒に生きていければいいよね?という関係しかヒトと猫の間にはないと思っていた。

外ってやっぱり怖いな。私がまだ知らない人間も怖いな。



[ 2013.04.11 | 猫日記 | コメント: 2 | PageTop↑ ]

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