苦手なヒト
2013.10.08
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猫です。

猫が猫について語ることは、正直言うとそう豊富にはないように思う。すくなくともあたしにとってはそうである。というのも、あたしは自分と息子以外の猫に接することがにゃい。ニャクシーなどのNNS(にゃん・ネットワーク・サービス)を介してコミュニケーションを取ることはあるものの(最近やってない)、直接は会わない。家猫だから。接する機会が多いのは断然ヒトである。新しいうちになってからヒトの来客がまた増え始めた。来て帰っていくだけなので、おもしろエピソードなどはなかなかないが、こちらとしてはひとりふたりずつくる分には良い刺激になって楽しくあるし、興味が湧く。接する対象としてもそうだし、見ていて思うところがあるのは、実のところ人間についてである。

とはいっても、夏目漱石さまの著書のように、猫の目を借りての風俗を面白おかしく描写する気はない。だって、あれは書いているのヒトだし、ヒトっぽい話だし、長いし……。

ぶろごの人気を考えて、できるだけ猫っぽい話を盛り込みたくは思ってきた。随所に「にゃん」とかも入れようと思ってきた。が、やっぱり書きたいことを書くことも大事に思う。そんなわけでヒトについてだってもっと書いていきたく思う。

しかしヒトのこと書くのは難しい。というのも、くねくねはいいとして、くねくねに関わるヒトの話をやすやすと書くとそれはぷらいべーとなことなので、といって怒られることがある。といっても一度だったが、そしてそのヒトはもううちには来なくなったのだが、それでも砕心勉励するものはある。どうしたものか。

まあ、そのへんは適当にしよう。猫がそんなに気を遣うのもなんだかなー(阿藤快)である。

そんなわけで今回は、猫としてのあたしが苦手なヒト、好きなヒト、どうでもよいヒトについて少し書きたい。まず、どうでも良いヒトだが、それは彼らにとってあたしらがどうでも良いヒトたちである。猫、もしくは動物全般に興味のないヒトがいる。彼ら(というか男のヒトにはいなかったので、彼女らと言い換えてみっか)、彼女らは、あたしらをもう家具ぐらいにしか思っていなかった。あたしが視界の端辺を優雅に歩いても少しも気にしない。そういうとき、あたしらも気にしない。不快でもない。ただもうどうでもよくなる。

好きなヒトというのは、居心地の良いヒトである。そしてあたしらに、経緯と愛情をやわらかく注いでくれるヒトでもある。そんなヒトたちに媚を売るのは楽しい。たいがい心地よいキックバック(撫でてもらったり、遊んでもらったり)がある。

苦手なヒトは、猛烈に猫が好きなヒトである。正直「毛皮にされて首にまかれんちゃうか!?」とビビるほどである。あのたぐいのヒトが文字通りに「猫まっしぐら」である。怖いし疲れる。首はもげそうなほど撫でられる。ニャクシーやニャケットニュース24では、実際に首がもげた猫がいるという噂もあがったほどである。ぼっけぇきょうてい。つよしではないが、正直しんどい。

やっぱり、ヒトについて書くのは楽しい。またたまにかどんどんかわからないが、書いていこう。

にゃお(ちゃお的に。流行らないかな)。


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